右手の優越

 

 2月25日・26日は、東大生にとって忘れたくても忘れられない、否、忘れようとも思わない日付だ。あらゆる国立大学と同じく、前期二次試験が実施される日である。

 僕が東大を受験したのは五年前になる。25日から26日へと、夜中から朝方へと向かうこの時間帯は、体調を万全にするため、とうに床に就いていたはずだ。少なくとも、ブログを書き始めるような真似はしていなかった。寝ようとしていて、同じ予備校でしのぎを削っていた友達からラインが届いた。「数学何完した?」

 東大の試験は一日目に国語と数学があり、僕が受験した文科の数学は全四つの大問から成る。これは数十年変わらない形式で、最後まで論理の漏れ、計算のミスなどなく解答までたどり着けた大問の数を「○完」と表現するのだ(同様に半分くらいまでは"いけた"問題数を「○半」と表現し、それらを合わせて「○完○半」と呼ぶ)。

 一応、試験の鉄則として当日の答え合わせはするべきでない、というのがあるが、翌日の現実的な得点目標を設定するためにも、自分は大体の目算をするようにしていた。入試本番、数学の試験が終わり、ツイッターでできた浪人界隈の仲間とDMを交わした。議論の余地なく易化した確信がお互いあったのだろう、特に臆することもなく解答を送りあい、全問一致していることを確認した。

 友達からのラインには「2完2半」と返し、(80点中)50~60点くらいかな、と付け加えた。いくつか余計な記述や書き間違えをしたことに思い当っていたので嘘ではなかったが、かなりネガティブに見積もっていた。友達からは自身の状況、それに予備校仲間らの情報まで送られてきた。やっぱり簡単だったんだなと思い、気を引き締めて眠った。

 以上の詳述が明かしてくれるように、やはり受験の思い出というものは一生残るように思う。東大生は東大に合格したという事実だけを唯一、共有している(そしてそれが人生唯一の「偉業」である僕のような人間もたくさんいる)。今年の僕は、バイト先で五年前と同じように入試問題に対峙していた。解答速報を作るため。バイトは大学入学からずっと続けて、すっかりベテランになった。

 

 バイトから帰宅して郵便受けを覗くと、大学院の入学手続書類が入っていた。直ちに入学金を振り込み、学生証用の写真を撮影し、書類を埋めて郵送しないといけない。大学院の試験(今年はオンラインで実施された。すなわち「オンライン院試」なのだが、これは「ナオト・インティライミ(「ナオト・イン・ティラミス」っていうネタツイで時の人になった人物だ)」みたいで嫌だったので、家から徒歩5分のアパホテルにわざわざ泊まって受験した。)は夏に終わっていたので、感慨などは当然なく、手続きの面倒さ、そして入学金の高額さに憂鬱な思いがした。親にその旨を伝えると、これでよかったのか、と不毛な問いが浮かんだ。

 結局、一度も就活および就活に準ずるプラクティスをせずに院進が決まったが、今ならまだ白紙撤回することができる。これから親に振り込んでもらう30万円を別のことに使うことができる。去年一年、卒論に圧殺されそうになるなか、自分には研究などできやしない、と何度も心内で唱えた。「ブックカフェで買った本をコーヒーを啜りながら優雅にめくる」なんてのは研究者からもっとも遠い生活形式だ、というつぶやきを見たことがある。自分が理想とする生活はまさにそのようなもので、その主張は問答無用で正しいと思った。

 近所のカフェチェーンやファミレスを使い倒して(そのせいでじわじわ貯金は減り、体重は4,5kg増えた)文献を読み、構想を練り、発表資料を作り、執筆をしたが、これを続けていくのは無理だ、とずっと思っていた。義務があるとそれだけで生活のすべてが空回りする。完成した直後はさすがに達成感があったが、しばらくして読み返すと「なんだったのか大賞2020」をあげたくなるようなガラクタに見え、自信を得ることは難しかった。解放感もすぐさま閉塞感に化けた。そんなこんなで、あくまで今後への気持ちを宙吊りにしたまま、だらだらと春休みを過ごしている。もしかしたら二度とこんな閑暇は訪れないんじゃないか、と怯えながら。

 

 研究をやっていく能力も自信も意欲もそれほどないものの、読書以上にやりたい(やったほうがいい)こともない(社会状況も相まって)退屈な人間なので、さっきも文献を読んでいた。実際に読めているかはともかく、読もうとし、また読んでいることにしていた。しかしながら気分が乗らず、ダイエットも兼ねて歩くために外に出た。とはいえお腹が空くのでカップ麺を買い、カラスの声が響きはじめた公園でひとり虚しく、本当に虚しく(といいつつ、あくまで光景が)食事をした。スープは飲み干さず少しだけ残しておいて、かつて環境保護のために「植物にやる」と中学入試の面接でようようと語った僕は、タバコの火を消すためにそれを使った。缶チューハイを灰皿代わりにするのだと、まえに深夜の公園で友達に教えてもらった技術を応用したのだ。

 周囲に人間もおらず、スマホからちょくで音楽を流し風景にかき混ぜながら、後輩のブログを読み、自分の昔の記事を読んだ。喫煙することなど未来永劫ないんだろうなと綴っていた僕は、いまや器用にシガーを操っている。そのシガーで宙に方程式を書く。五年前の数時間後にはこの右手で、いま・ここにいる「権利」を勝ち取ったのだ。

 ふいに(否、こういう風に思うことはたいてい約束されている)、次は恋人と来たいなと思った。それで二人でタバコを吸いたい。それが僕のささやかな理想の生活なのだ、とは感傷抜きに語ることなんてできない。幼い頃から勉強を通じて獲得してきた厄介な自我は、だんだんと萎んでいたのだった。