生活の制作

……こんなタイトルで始めてしまったら、朝早く起きる健康的な生活を確立したのだと勘違いしたくもなるが、そんなわけはない。これを書いているのは深夜から明け方への端境期。日が短くなっていくので朝も多少遅い。寝落ちしたのは久しぶりだった。僕がこの媒体に文章を書くのは、寝落ちから覚めた直後であることが多い。すべて終わって、すべて焼き尽くされて、すべてが無に還ったような……絶望感と相半ばするその種の晴れやかさ、爽快感……僕を意味のない行為へと向かわせてくれるのだと思う。

 千葉雅也の『勉強の哲学』という本はほんとうにいい本で、彼自身一番のお気に入りだと友人によく語っているらしいのだが、ほんとうにいい本である。これを大学入学したてで読んでいたら、路頭に迷って留年することもなかった……(刊行記念のトークイベントも僕の駒場時代に、コマバで開催されていたのだ)しかし、それは嘘かもしれぬ。大学二年か三年のとき、ブックオフで立ち読みしたときにはそこまで強い感銘は受けなかった気がする。まだあまり人文的な口調に親しんでいない頃だったし、読点がやたら多くて文体も、謎という感じだったから。(ちなみに文庫化した際には読点がかなり削られて読みやすくなった)

 その、文庫版に追加された補章は「意味から形へ──楽しい暮らしのために」と題されていて、制作、広い意味での「作ること」についての実践的アドバイスが書かれていて、勇気をもらえます。勇気。「それはひいては、芸術的制作だけでなく、自分の住む空間や、生活のリズムをどう設計するかということにもつながっていく」(p.238)。

 

 今年はオリンピックの影響で例年と大学のスケジュールが少しだけ違っており、九月の最終週から始まる秋学期は一週遅く、つまり十月ちょっきりのスタートになった。それが地味に、地味すぎるゆえにすごくうれしかった。きりのよさには別に意味はないけれど、それが心地よいのである。毎年そうしてください。

 だから、夏休みの二か月間──春学期の授業は八月ジャストよりも半月早く終わっていたし、特にレポート課題もなかったけれど、やるべきことがあったので勝手にきりよく「二か月間」に設定した──をどう過ごすかが大事だった。コロナでどこにも行けないわけだし。やみくもに抽象的な、超越的な何かに手を伸ばそうとする時期も、大学院に入ってようやく終わりが来ていた。制作するとは、有限性を作り出すということですから。生活においてもそれがいえるわけです。

 生活の制作──というフレーズが浮かんできたのは、根津からバイト先へと歩いている途中だった。不忍通り言問通りとはうってかわって賑わっていて、コロナ禍を忘れさせるようだった。あくまで相対的なものにしろ。しかし、曜日が土であるというので納得できた。大学の地下スペースで論文をやっと書き始めた日で、疲れたし詰まってきたしバイトまで一時間だったので切り上げ、今から電車で行くと時間を持て余す。キャンパスをぶらつこうかとも考えたが暇だし、バイト先まで歩くことにした。距離を調べるとニキロ少々で、逆に今までなぜこの発想がなかったのかと、凝り固まったルーチーンはげにおそろしなのであった。何気に。大学からバイト先まで歩けば交通費がチャラになるというのは、これもまた生活の制作なのであった。

 それで不忍通りを歩いているとき、今日の進捗の反省をしてしまっているとき、別に毎日1000字でもいいしとにかく進めることが大事だし1000字ずつ書いていくことにしよう、と思ったのだった。これが俺の生活の制作や! 人生は冒険やし、生活は制作や! その日の進捗は丁度1000字だった。

 

 夏休みの目標は二つあって、小説の公募にはじめて出すことと、査読のない論文を一本書くことだった。これは八月一日(ほづみ)に、鬱会のメンバーに話して明確に決まったことだった。前者は八月末日、後者は九月末日が締め切りだったので、バランスがよかった。今回やってみて思ったけど、小説を書きながら論文を書く、あるいは論文を書きながら小説を書くのは相当な力量がないと、どちらもに慣れていないと厳しいということだった。僕はどちらもほぼ初めてに違いなかったし、順番にやるしかなかった。結局、とりあえず目標を達成することができて、よかったです。両方とも分量に上限があったので、数値で区切る生活は適当だったと思う。

 

 散文欲求が満たされたので、もう終わりにします。これで韻文欲求が湧いてくればいいのですが、どうでしょうかあ。あるいは二者択一の廃棄処理場、工場見学の思い出。