たくわえる、かさねていく

 

圭織という名前の女の子がいた。

わざわざ「という名前」なんてつけなくとも、べつによくある名前だと、思っただろう。強いていえば、香織や佳織の方がよく見かけるくらいか。

 

圭織は築何十年か見当つかないような、狭い坂道の脇にある屋敷みたいな家に住んでいた。表札は資料集でしか見たことがないような味のある変色のしかたをしていて、こんな家が近所にあることにぼくは驚いた。

圭織の家族は、嫌味のない幸福な家庭を大切に築き上げてきていた。父親は歯科医かなにかで、両親はそろって品のいい顔立ちをしていた。夫婦の顔が似てくるというのは科学的にはよくわからないが、なるほどと思わせるものがあった。

圭織はアメリカの女の子のキャラクターがアップリケされたねずみ色のトレーナーをよく着ていて、彼女の姿を思い出そうとすると真っ先にその服が浮かんでくる。弟は肌が真っ白で、コロケーションの癖で「病的なほど」といってしまいそうになるけど、まったく逞しい顔つきをしていた。東欧風の。

悩みの種といえば、圭織の成績がかんばしくないことくらいだった。

 

圭織のことを好きな男の子がいた。トモヤという名前だった。トモヤが圭織に好意を抱いていることはなぜか塾じゅうに知れ渡っていて、模試の成績が振るわずクラスが下がった際、先生から「カオリちゃんがいるからって、浮かれとったらあかんぞ」とからかわれることもあった。

 

ぼくは小学生くらいまで、いろんなものを盗み読む悪い癖があって、クラスメイトのテストや提出物をよくこっそりチェックしていた。圭織は出席番号順でいちばんはじめだったのもあって、なおさら見てしまっていた。

圭織は一応は中学受験専門の塾に通っているにもかかわらず、学校のテストでさえ七十点とか取っちゃうこともあった。彼女は二重幅の広いたれ目が特徴の、とても整った可愛い顔をしていたから、ぼくは変に同情していたのかもしれない。

 

ある日、自分の名前の由来を親に訊いてくる、という課題が出た。翌日、めいめいがしかたなく書いてきたであろうプリントが出席番号順に集められ、先生は机の隅にまとめて置いた。

 

 「圭」はたくわえる、「織」はかさねていく。

 

気持ちが入っていないからなのか、そういう筆跡なのか、どっちもだと思うが、かぼそく、右肩下がりの文字列が並んでいた。

まずもって、膨大な余白を文章を繋いで少しでも埋めようとする努力を払っていないことに、ぼくは唖然としたような覚えがある。とはいえ、そんなことはまったく重要じゃなかった。

以来、ぼくは今日までこのエピソードを保存していた。折に触れて思い出すということもなかったのに。フォルダの最終更新は13年前で止まっていた。

 

 「圭」はたくわえる、「織」はかさねていく。

簡潔なフレーズだからこその、なよやかな字体とうらはらな力強さ。何事もちゃんとやらなければいけないと思っていたぼくに、新鮮な風を吹き込んでくれたのだった。

 

十歳の少女が生み出した、この凛とした一行詩を、伸びてきた顎鬚をさすりながら思い出したことには、一抹の申し訳なさをいだく。(髭が伸びる→髭をたくわえる→たくわえる、かさねていく というしょうもない連想だ)

それに、圭織と何回も書いていたら、彼女のことが好きだったのはぼくだった気がしてきた。