憂鬱の散髪 Part2

自分が眠っているのか起きているのかわからない微

睡み状態のなか、時折きつくしまった宝箱をこじ開

けるようにはっと瞼を開いては枕元のスマホで時刻

を確認し、瞬時に到着までの時間を計算することを

繰り返し、少しでも多く眠ろうともがいていた。こ

のままブッチしてしまおうかとも思った。眠かった

からというよりは、髪を切るのが憂鬱だった。自分

で予約を入れておきながら不合理だが、ジェンダー

レスを志向して若干伸ばしている髪を切り落とすの

は惜しい気がしたし、前回に続いて二度目の店で前

と同じ感じにしてくださいと言うだけで通じるかと

いう不安があった。それでも前と同じイメージの画

像を見せるのは脳がないので嫌だったから、ほとん

ど世間話もすることなく淡々と施術を終えたにもか

かわらず、プロフェッショナルなら二カ月前の仕事の

詳細まで実は覚えていたりするのだろうかと半ば試

すような気持ちで、着の身着のままで美容院へと特

攻した。案の定というか僕の説明は伝わらなかった

ため、担当のスタイリストに当惑の表情を浮かべさ

せる結果となった。ここのサイトに載っているやつ

なんですが、と誰に向けてかわからない断りを入れ

てから前と同じ画像を見せ、きまりが悪い思いをし

た。一番悪い想定をしておくとだいたいいつもその

通りになるのはどうしてだろう。ともかく無意味な

自意識に寄り掛かる必要はなかった。それでも僕が

どういう客だったか思い出してくれたみたいで、安

心と同時に嬉しさがあった。後ろのカット中は全国

のこじゃれた喫茶店を紹介しているムックに目を落

としていたが、前髪とかを切っているときはどこを

向いていればいいのかいつもわからない。サービス

で提供してくれるアイスコーヒーにも手を伸ばせな

い。鏡越しにスタイリストの目を見つめてしまいそ

うになるが、相手からしたらいい迷惑だろう。自分

の顔は毎日見ている。ここの鏡はわりかし調子がい

い。ポイントパーマをあてたのでしばらく待つこと

になり、目の前に置かれていたさっきのムックとも

う一冊が他の雑誌と入れ替えられた。僕がジェンダ

ーレスを志向していることを察知してなのか、メン

ズノンノは向こうに追いやられ、POPEYEと東京カ

レンダーが運ばれてきた。実をいうと、こないだ初

めて読んだPOPEYEがまた読めるのを少し楽しみに

していた。髪を切るでもしないと一生読むこともな

いし、終始半笑いを繕ってCITY BOYとやらの欺瞞に

満ちたLIFE STYLEを偵察するのは陰キャには楽しい

遊戯だった。彼らへの密やかな憧憬と羨望に目を細

めつつ、欺瞞をあざ笑うかのように振舞う自分自身

が何よりも欺瞞に満ちた存在であることには気がつ

きつつも。東カレはまったくもって意味不明だっ

た。どうして僕の前に運ばれてきたのだろう。ただ

そこにあったからと解釈するのが筋なのだろうが、

何にでも意味や理由を見出したがる宿命にある自分

は頭を悩ませた。自分は何者だと思われているのだ

ろうか? この雑誌は大学生が読むようなものなの

か? 童顔ながらも年齢的には社会人に相当する

し、そう判断されたのだろうか? それにしても多

少の小金持ちでないと読まないのではないか? 貧

民に豪奢な世界を見せつけようとしているのか? 

東京カレンダーという雑誌を知ったのは東大がきっ

かけだった。東大の中でもイケイケ系の人々が、自

称東大美女をモデルにこの雑誌のパロディを作成し

ていて、それがツイッターで回ってきた。端的に、

率直に、僕は反吐が出そうになった。正直、同じ大

学にイケイケ系の人々が在籍していることは不可解

だ。そんなにすくすくと育って、おまけに学力も高

いというのは、勉強しか取り柄がなく故に屈折した

僕にとっては断じて許すことができない。そしてか

くも軽率な自己顕示に興ずるとは。厳しいな、とい

う思いだけがすると同時に、僕の露悪的な性分も僕

以外の人にとっては厳しいな、という感じなんだろ

うと思う。ここでも資本主義の歪みをあざ笑う意図

をもって(もった振りをして)、覚悟を決めてペー

ジを開くと、ちょっと資本主義に屈してしまいそう

になった。ミイラ取りがミイラになる。所与の地頭

と学歴をフル活用して商社あたりに就職し、資本主

義の犬になるのも悪くない、むしろ望んでしまいそ

うになる。トルストイ三浦綾子の小説に感銘を受

けていたはたちの自分は、すっかり堕してしまっ

た。悲運を嘆いた。汚れつちまつた悲しみに……と

はこういうやつか。しかし今田耕司が載っているの

に爆笑していたらそんなことは忘れた。髪を洗い流

すとき、軽く、いや結構しっかりめに頭皮のマッサ

ージをされて、「めっちゃ凝ってますね」と言われ

たのだけど、僕の凝り固まった頭脳を見抜くとはな

んたる慧眼、うおぅと思ったし(馬鹿みたいに思う

振りをした)、さっき切ってもらっている間も「美

容師界」のことを考えたりしていて、人間はなんら

かの世界に自らを定位することでしかやっていけん

のだがそれを主体的にできるのは羨ましいなと、つ

ねづねインテリの世界に耐えられなくなりかけの自

分は無邪気にも思った。もっと違う世界を生きたっ

ていいはずなのに、自分は。この文章はここで息絶

えている。

 

 

 

(追記)会計の時に預けていたコートを渡される際、「かわいいですね」と褒められて舞い上がりました。陰キャはもっとラフに人を褒められるようにならねばならん。