エピソード1

 

 部屋の窓から正面に見えるホテルの看板が、煌々と光っている。部屋の中では最近買ったワイヤレススピーカーからハロプロの楽曲メドレーが流れている。YouTubeにあがっているやつで、再生時間は2時間ジャストだ。

 

 始まる前にはとうてい予期しない形で春休みが延長し、僕は自宅に閉じ込められている。特に何もしなかったけど、十年後とかにふと振り返るとかけがえのないものに思えたりする、というコンセプトで春休みを過ごし、本当に何もしなかったのだけど、それがまさか大文字の歴史に刻まれるような春休みになってしまうなんて。

 新型ウイルスのパンデミック。二週間前に都が「不要不急」の外出の「自粛要請」を発して以来、わりと律儀に過ごしている。コンビニに行くときなどには人通りの多さに呆れてしまう。普段はパーソナルスペースなど意識しないが、少なくとも今は自分の半径2メートルには入ってきてほしくない。

 

 こう基本的には部屋に閉じこもった生活をしていると、浪人していた頃を思い出す。つい浪人時代と口走りそうになったけど、時代と呼べるほどにその頃がいまだに僕にとって大きな意味をもっているという証拠だ。

  第一志望の大学に不合格通知を喰らい、私立に行くのはやはり癪だったので暗澹たる気持ちで予備校の門を叩いた。説明会には同じ高校の奴等がたくさん来ていて、互いの傷を舐めあっていた。英語の採点が思ったより厳しかったなどと、己の学力不足を何らかの不運にすりかえて語り、この期に及んでも自分を強く見せようとしていた。

 僕は予備校と家が近かったこともあり、三月のうちから予備校の自習室に通う羽目になった。正直、何のモチベーションも湧かないし、何のために監獄のような部屋へ向かっていくのかわからなかった。

 この時期くらい遊んで憂さを晴らせばいいのに通ってくる生徒はぽつぽつといて、まばらに座る僕たちは勉強のためというより、暇を持て余してしかたなくといった感じで参考書を開いていた。

 

 宿命だと思って部屋にいることにしてみると、案外気は塞がなくてびっくりする。たまっていた本や映画を消化するチャンスだと思う。しかし、やっぱり重い何かがのしかかっているのかもしれない。本はなかなか読み進められずにフラストレーションがたまってしまう。ちょっと考えてみて、一年で一番好きな季節を奪われたことに失望する。

 とうぜん誰かと顔を合わせることもないので、言葉がどんどん口の中にたまってきてワーッと叫びたくなる。ただ叫ぶことに意味はないので叫ぶことはしない。意味のあることはしないけれど、無意味なこともしないのが僕のスタイルだと居直ってみたくなる。

 浪人の頃は実家暮らしだったので、絶望のなかでも毎日家族と話す場面はあった。たいてい僕は希望、みたいなとりとめのないことを語っていたような気がする。それか父親とプロ野球の話。

 今は一人暮らしをしているから、本当にまるっきり、会話がない。代わりに、普段は気分で返したり無視したりする母親からのラインに、こまめに返事を送ったりしている。

 母親は保育園でパートをしているのだが、家庭保育をお願いしているのに0歳児を連れてくるなんてわけがわからんと憤っていた。多分それは勤務先の福利厚生やらのせいで、つまりは社会のせいだよ、と言っておいたけど、何のために僕はそれを言ったのか判然としない。

 

 読んでいた思想書の一章分を想定の倍以上の時間をかけて読み終え、読みかけの小説へ移行する。冷蔵庫から竹輪のパックを取り出し、小説に目を落としながらそのまま食べる。ハムで竹輪を包んで食べたらどうだろうと思って合わせて買ったのだが、同時に消費してしまうほどの贅沢が許される腹の減り具合ではないと判断し、竹輪単体にした。しかし、3ページも進まないうちに食べきってしまった。僕はなんでも一気に済ませないと気がすまないところがある、のかもしれない。

 小説が佳境に入りかけたところで、読書をストップした。展開的に佳境といえるか正直わからなかったが、本は残りページ数が多少の指標になってしまう。動画サービスで見る映画も残り時間が気になってしまうから、やはり映画は映画館で観たいと思う。その映画館は政府の緊急事態宣言によって閉ざされてしまうだろう。

 

 ずっと流れていたハロプロメドレーも最後の曲が終わり、これを12回繰り返せば一日が終わるのだと思った。長いとも短いとも思わなかった。向かいのホテルの光はもう消えていた。辺りが明るくなり、今日も空は晴れていた。