東大入っても品性は養われなかったイキリオタクの懺悔

捉えどころのない生の苦しみの中を、ユーモアと哲学で颯爽と駆け抜けていきたい。一介の冴えない大学生。

恋とマシンガン

 

 TwitterのTLに元気がなく、布団から起き上がって何かをするような元気もなく、ただただ退屈に放置されている深夜、青空文庫を読むことにした。その名に反し、雨の日も風の日も、24時間いつでも青空文庫は読むことができる。

 選んだタイトルは太宰治の『斜陽』。

 この小説には数多くのパワーワード(もはや使われなくなった感がある)が登場する。気に入ったページのスクショを数枚撮ってみた。

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 その中でも最も印象的だったフレーズを紹介したい。作中で主に語り手を務めるかず子の言葉である。

人間は恋と革命のために生れて来たのだ。

 なんと力強いことか。

 僕にとって印象的だったのは、僕自身もこのように思ったことが何度かあるような気がするからだ。

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 大学入学当初の僕は「革命家になりたい」と口走っており、すぐ知り合った大学院の先輩もかつて同じ志を持っていたと知ったときは、何だか勇気が出た。誰も本気に捉えないだろうが、やはり人生のある時期においては、革命衝動が湧き起こって仕方なくなるものだという確信をそのとき得た。

 

 そして恋である。革命も恋も、口に出す、いや文字にして発信するだけでも恥ずかしいものに思われる。が、しかし、恋である。

 恋愛とはまた違うのが恋である。恋愛とは駆け引き、ある種ゲーム的な娯楽であるのに対し、恋とは自然発生的な感情の揺らぎである。恋愛は相互作用を基盤とするが、恋は一方通行で構わないし、見返りは求めないのが流儀だ。

 ところでガチ恋という言葉が流布しているが、あれは冗長である。ガチでない恋なんてあるものか。照れ隠しでガチとつけるだけ、日本語の妙味。

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 SHISHAMOに恋愛休暇という曲があるけれど、恋に休暇は要らない。恋愛は時に神経をすり減らし、時間も労力も奪われるだけだが、恋は生きる理由、活力を与えてくれる。

 

 イスファハーンが慈悲深く残した世界の半分を、丸々恋で覆いつくしてしまっていいとさえ思ったことがある。異性の割合は人間の半分であり、そう、半分であるのだ。

 

 もちろん、常日頃から恋と革命を意識することはない。それは我々があまりに疲弊しているからである。一見逆(特に後者について)かと思うかもしれないが、恋と革命のためには心が健全でないといけない。若い精神を携えた時点では、「人間は恋と革命のために生れて来た」と感じることがあると僕は思う。

 ちなみに作中のかず子は二十九歳である。

 

 これで締めてもよいのだが、僕はある発見をしてしまった。

 この名文のエッセンスを凝縮したかのようなタイトルの曲があった。

 

 フリッパーズ・ギターの『恋とマシンガン』である。

 冒頭の「ダーバーダ ダダーバダバダバ」というスキャットが耳に残る曲だが、

真夜中のマシンガンで

君のハートも撃ち抜けるさ

という歌詞も実に素敵で強烈だと思う。ハートを射止めるとか撃ち抜くとか、それだけなら陳腐な表現かもしれないが、武器になるのは真夜中のマシンガンだ。

 そして、次の発想に至るわけである。

 

 マシンガンとは革命のことではないか!?

 

 マシンガンぐらいでは足りないのかもしれない、がしかし、「恋とマシンガン」とは「人間は恋と革命のために生れて来たのだ。」のパラフレーズではないか。作り手の意図はともかく、おめでたい僕は二つを強引に結びつけてしまったのである。

 おまけに思わず車内で、やっぱり恋と革命だよな、とつぶやいてしまった。いや、あえて聞こえるように。

 

 試しに「斜陽 恋とマシンガン」と検索してみたが、まったくヒットしなかった。これは僕だけの発見である。

 

理由のあるものに 意味はないと思う

恋に理由はない 革命に理由はない

ただ衝動 それだけがある

 

 ちなみに本の主題歌を決めるサイトがあって、斜陽には恋とマシンガンを設定したい。明るい曲調と破滅へ向かう小説の展開はマッチしないかもしれないが、誰も気にしてはならぬ。

 

 

斜陽 (新潮文庫)

斜陽 (新潮文庫)

 

 


Flipper's Guitar - 恋とマシンガン (Young, Alive, In love)