ガチ恋侍、振られて候

 

 

 

 

 陰鬱で膨れ上がった僕の脳のように通知が溜まったLINEを開くと、無視しようともできない大事な返信が来ていた。そうだ、最近の過眠の原因は大学だけじゃない。自分が送ったメッセージがあった。自分の行為のキモさがあった。

 「やっぱり」「付き合う」「難しい」

 開くのに勇気は要さなかった。比較的空いた丸の内線の車内で、僕は失恋が完了するのをしかと確認した。

 失恋が完了する、というのは日本語としてやや違和感があるかもしれない。しかし間違いなく「完了」したのだった。可否はあらかじめわかっていた。僕は自分自身で、徐々に失恋を完成させていったのだ。 

 今更数カ月も前の話をするのは気が引ける。それ以上に具体的な恋愛について語ること自体が躊躇われるが、毒も食らわば皿までだろう。存在も行為もキモいのだから、何を語ろうとキモいことには変わりない。ところで「キモい」って言葉のキモさ加減は異常ではないか? 日本語の豊かな側面だと思う。まあそんな話はどうでもいい。

 詳らかに書くほどの出来事でもないから、要点をかいつまんで語ろうと思う。

 

 クリスマスにLINEで告白をした。本当は直接に会って「現物」を渡したかったのだがかなわなかった。その時点から失恋は始まっていた。いや、本当は恋愛感情のようなものを意識したときから進行していたのかもしれない。

 

 以前、告白の手段としては発話より文章を好むと書いたことがある。

 大学一年生の夏休み、北陸からの帰りに高崎に降り立った。近隣の観光スポットを検索すると山田かまち美術館というのを見つけた。エレキギターの演奏中に感電死して亡くなった人物。彼は十七年の生涯で優れた詩や絵画をたくさん残していた。 

 僕はそこで人間の存在証明をたくさんみた。生命の躍動をみた。「ぼくには24時間ではたりないよ」口癖だった彼の言葉には説得力しかなかった。僕が通常こぼす愚痴とは全く異なる性質のものだ。自分が恥ずかしかった。

 中でも胸に強く刻まれたのが、いわゆるラブレター、恋文だった。情熱的な文章が何枚にもわたり、やはり情熱的な筆跡で綴られている。僕は告白の意味を直覚した。方法を真似しようと思い、その旨を来館者ノートに記した。

 当時の僕にも好きな人がいたのだ。

 しかし約束は果たせなかった。あのとき感じた胸の高まりは続かず、自分がすればあまりにキモい行為であると悟ってしまったのだ。手紙に固執する必要はなかったが、なんであれ感情を曝け出すことは慎まなければならないと思っていた。数か月後にその子は誰かと付き合っていると知った。後悔はなかった。最初から芽はなかったのだと解釈するようにしたし、実際正しかったのだと思う。

 

 こうした経験があって、書いて伝えることへの憧れと執着を引きずっていた。

 大学三年生の冬。猛烈に恋しい女の子がいた。みじかい詩をいくつか連ねて、告白の時期にふさわしい題名をつけた。家にプリンタはないのでコンビニで印刷して、現物を用意した。

 問題は会う口実だった。何とか悟られずに渡す方法はないか。ミレニアム懸賞問題と肩を並べるような難問だった。結果的にいい策は浮かばず、現物は封印することにした。仕掛けたギミックであっと言わせてみたかったのだが、まあしかたない。肝心なのは中身だ。

 その中身がよくなかったのかもしれない。僕はそれとわかるように言葉を並べたつもりのファイルを送ったが、彼女からは「告白」に対する「返事」ではなく、「作品」に対する「感想」が送られてきた。

 僕はどうしよう、と思った。丁寧な感想文はそれはそれでありがたかったが、改めて告白を成立させるべく解説を送り付けるのはあまりに無粋だ。

 彼女にとっては唐突な出来事でしかなかったと思う。しかしわざわざ日を選んで作品が送られてきたことに、何の意図も感じないのは不自然ではないか? 彼女はとぼけているのだろうかとも思った。

 何日か逡巡したあげく、愚直に好きだといった。いってしまった。好きだというのは初めてではなかったが、これほど勝算が低く、もはや失恋を感じ取っていたなかでのそれは当然初めてだった。

 返信があってしばらくは怖くて開けなかった。そうするうちに年を跨いだ。

 

 今年の年越しは一人だった。帰省がてら初日の出を見ようと、和歌山の小さな港町に泊まったのだった。

 終電で駅へ降りると、ローソンが田舎にはそぐわない明るさで青々と光っていた。不思議な感性がはたらいて、竜宮城のようだと思った。

 宿にはあらかじめ到着時刻を伝えていたが、宿の人は僕の訪問にやや戸惑っているようだった。何だか不吉な予感がする。男性一人のドミトリーを予約したつもりが女性になっていたらしく、空きがないのだ、と説明された。途方に暮れることしかできなかったが、どうせ何とかなるだろうと思った。

 「とりあえず〇〇荘に電話してみるわ」「まだ向こう行の電車あるよな?」などのスタッフのやりとりが耳に入り、自分はどこに連れていかれるのか不安になったが、結局スタッフ用の部屋を貸してくれることになった。なんと六畳の一人部屋だ。

 すっかり安心した僕は軽い口調で「名前で変だと思いませんでした?」と尋ねたら、「そうは思ったんですけどね、もしかしたらと思って」と笑顔を浮かべてくれた。一気に和やかな空気になった。

 宿は僕を除いて団体客の貸切状態だったらしく、宴会場からは賑やかな声が響いていた。僕は竜宮城で買った弁当を食べ、入浴時間が終わった後の風呂に入らせてもらった。まだお湯は熱いままだった。一年が終わる。

 

 寝る前にやらなければならないことが一つだけ残っていた。彼女からの返事を読まなければならない。年内に返事を確認すると友達に約束していたのだ。もっとも恋の状況を友達に伝えていたのは、自分にとってとびきり特別な事態だった。それほどまでに募る思いをこらえきれなくなっていた。

 何を期待しているのかと自分に問いかけたかったが、どうしても怖くてしかたなく、結局その日はスマホを手に握ったまま寝てしまった。

 目が覚めても太陽はのぼっていなかった。のぼっていたらまずい。何のためにここに泊まったのかわからない。だから偶然にも早く起きれて安堵した。

 午前四時。他の客と隔離されていることもあり、二階の一室は驚くほど静かだった。その静謐さと、久しぶりに感じる畳の芳しさ。一年の始まり。僕の心は過去最高で澄み切っていた。意を決さずとも、ごくごく自然な動きで彼女からのLINEを開いていた。ここ何日かの緊張が嘘のようだった。

 僕の回りくどい告白への当てつけのように、率直で誤解しようのない言葉が丹念に連ねられていた。「実感がないというのが本音」「男性として強く意識したことはない」

 とうぜん辺りは静かなままだった。感情がかき乱されもしなかった。

 僕は予防線を張りまくっていた。唐突なことで驚くかもしれないけど、と断っておき、好きとはいっておきながら「付き合ってほしい」とは書かなかった。だから返信を読んで「そうだよな」と全てが想定通りであったように納得したし、「そうなんだ」と純粋に彼女の気持ちを受け止められた。何より誠実な文章を嬉しく思った。

 このとき澄み切った僕の心には、一切のわだかまりも残らなかった。

 

 

 

 

 最後に彼女と会ったのは今年の二月、確かバレンタインデーの二日後だった。

 告白に付随する一連のやりとりで、彼女は一度会って話したいといってくれた。どうにも僕が彼女を恋愛の文脈で好きであるということ、自分が僕から好意を寄せられているということが、あまり呑み込めていないようだった。僕は依然として猛烈に彼女に恋していたから、断る理由はなかった。

 いつもと変わらない仕方で会話に興じていると話題が件に及ぶこともなく、そろそろ店を出ようかというタイミングでようやく僕は切り出した。「話さなきゃいけないことがあるよね」

 とうぜん彼女にはそれで通じた。そのために会ったのだから。「全然気づきませんでした。話すといつもこんな感じだし」と彼女は所感を伝えた。

 彼女のいわんとしていることはよくわかった。僕らはお互いの最近の生活ぶりとか、そういう属人的な話はあまりしない。二歳差だと思っていたら実は一歳差だと発覚したのもこの日だったくらいで、密かに妹より年上だとわかって後ろめたさが軽くなっていた。気づけば社会の事象についてであったり、観念的な話になったりすることが多かった。ちょうど心地いいていどに頭を使って会話をした。彼女の黒目がちで切れ長の目をよく見て話した。ただあっという間に時間が過ぎるということを、いつも強く感じた。

 彼女がどれだけ本心で、どれだけ僕を傷つけまいと計らってくれたのかは知りようがないが、明確に拒絶されたわけではなかったのは確かだと思う。決していわせたのではない「私も(人として)好きですよ」という言葉を、僕はキモいので何度も噛みしめるようにリフレインさせたし、「付き合うとはどういうことか」と問いかけられて答えに詰まったりして、また話しましょうということで別れた。彼女は付き合うことの意味に合点がいっていないだけなのだ、とまだ少しだけ期待した。失恋は未遂であった。

 家に帰って、彼女から返却された本に小さなチョコが添えられているのを発見した(僕は次に会う口実をつくれるよう、好きな本を貸し付けるという狡猾さを持っていたのだ)。やっぱり女の子ってこういうところが素敵だよなあ、とあえて一般化してその気遣いを受け取った。そうしないと恋が暴発してしまいそうだから。次に会える保証がなくなってしまった、と思うと少し寂しかった。

 

 彼女にとって生活の重荷になることが、一番不本意なことだ。自分の半ば依存的な恋愛感情と、彼女の事情。どうバランスをとり、どう立ち入っていくかは悩ましいばかりだった。

 対面すると会話のエンターテイメント性にかまけてしまい、また気恥ずかしさもあって真摯に話せなかったことを僕は反省して、改めて文章を書いて送った。歯の浮くようなセリフがまじっていたかもしれない。決してキザな男を演じたいのでも、文学かぶれなのでもなかった。 ただ単に僕の実地経験の浅さゆえのことだ。他になす術を知らなかったのだ。

 彼女は忙しい合間を縫って熟慮を重ねてくれたようだった。何かと考えることが好きな子だから、きっと嘘ではないのだと思う。結論はずっと先送りになった。

 

 僕は愛に飢えているのだと思う。そういうと大げさに聞こえるから、愛みたいなものに少しだけ飢えていることにしようか。もはや出会う気も、メッセージを送る気すらもないマッチングアプリを未だに開いてしまうのは、きっと満たされない部分があるからで、馬鹿げていると感じる。

 僕は刺激にも飢えている。やりたくないことはたくさんあるが、やりたいことは特段ない。恋愛は一種の娯楽だと思うが、人生においてかなり本質的なテーマでもある。過去を回想していつも浮かんでくるのは、いつかの心の揺れ動きだ。心の隙間とは、何より刺激に対して開かれている。寂しさとか、そういうんじゃない。

 だからといって手あたり次第、というわけにはいかない。第一そんな機会に恵まれてもいない。誰かと恋愛関係になりたいとか、誰かを好きになりたいとか、誰かに好かれたいとか。よこしまな考えで彼女を好きになったわけではなかった、ということは彼女のために断っておきたい。

 

 理解されたい、という気持ちの正体は何なのだろう。根源は何なのだろう。どうせ人間についての深い考察などできないのだが、満たされない気持ちを分析することで緩和したいという意図がある。満たしてくれる存在を見つけるより、自分をメタ視することで自分なりに折り合いをつけることの方が、僕にとっては簡単なことなのだ。だから異性に限らず、僕は人付き合いというものを敬遠しがちである。自分とは自分が向き合うしかない。他者をたよってもしかたがない。そう思って孤独な日々をしのいで生きてきた。

 そんな日々は孤独への耐性を強化する反面、他者の見せるやさしさに対して、究極に脆くさせる。自分を理解してくれる存在に出会うと、たやすくガチ恋してしまう。厳しい言い方をすれば依存。もし僕がかわいい女の子であったなら、メンヘラとして生きていくことになっていただろう。僕のメンヘラへの嫌悪は、典型的な同族嫌悪だ。

 

 彼女は僕に関する一面の真理を言い当てた。すなわち俗にいうところの「理解してくれた」であり、僕に他者からの<理解>を入力すれば、その他者への<ガチ恋>が出力される。至ってシンプルな構造。小説家泣かせの、メンヘラ男子の恋のメカニズム。

 「内に秘めてる感じが好きです」そんなことを言われたのは初めてだった。

 

 彼女と話したのはまったくの偶然だった。大学二年生の冬。知り合いが所属していた学内の劇団による公演を見に行き、別の知り合いと遭遇した。その知り合いと一緒に来ていたのが彼女であった。もっとも学内のコミュニティというものは意外なほど狭く密接で、その時は話さなかったが一度会ったことがあり、ツイッターでFF関係にある人だった。

 厚かましくも晩ご飯に同行し、帰宅してしばらく経つとDMが届いた。「思っていたより落ち着いた人ですね」年下からこんな風に評されるのもどうかと思うが、悪い印象は持たれなかったらしい。二人きりで話したわけでも見栄を張って奢ったわけでもないのに、律儀な子だった。「◯◯さんの内に秘めてる感じが好きなので、よかったらまたお話ししましょう」

 

 そう、そうなのだ! 俺は"内に秘めてる"のだ! 

 僕は一人で膝を打った。言い得て妙とはこのことか。僕は人前で話すことにそんなに抵抗がなく、相手を問わず機知に富んだ会話ができ、色々な界隈に足を踏み入れている、一見するとそこそこ軽快な人間である。しかしこれは社会生活を送るための仮の姿である。いや、仮というのもおかしく、これもまた僕の一面の真理といった方がいい。

 近頃は陰キャという便利な言葉があるが、人によって使い方はまちまちで、説明不足な感じは否めない。彼女の含意はわかるはずないが、僕は「内に秘めてる」を真理として扱い、理解を与えてくれたのだと思ってしまった。感激していた。ときめくきっかけには十分であった。

 

 

 

 

 初めて言葉を交わした日から一年たって僕は告白を遂行した。しかし一年間ずっと好きだったわけではない。振り返ればきっかけはあの日だったが、恋の萌芽をはっきりと感じとったのは季節が秋にさしかかってからだと思う。まず、一度目に僕から誘って会ったのは夏休みに入ってのことだった。そのときにはこんなことになるなんて思ってもみなかった。

 告白に至るまでに会った回数は、最初を除いて三回ほど、いや正確に三回、だった。一回も忘れるはずがない。総時間では七時間ぐらいである。多分、かなり短い。家で呻いていた時間の方が圧倒的に長い。僕はキモいので何度もLINEのスクショを見返したり、プロフィール写真を拡大したり、彼女の名前を反芻したりしていた。そしてメッセージを送るまでの逡巡・戦国時代。これらを踏まえると結構な時間、彼女に思いを巡らせていたと思う。

 

 一般に人を好きになったとき、その人が踏むべき手順はどういうものだろうか。自分から積極的にアプローチして、告白が成功する確率を見極めながら、その確率を上昇させていく。こちらの好意を示しつつ自分への好意を確かめつつ、相互の関係を強固なものにしていく。そして時機が来たら約束事のように告白する。これが最も無難な方略だろう、と実地経験の浅い僕がいってみる。

 つまり、人を好きになることから考えられるゴールは「付き合う/交際する」という、実質ただ一つであるように思えてならない。この事実が数多くの悲劇を生み出してきたのだと思うが、なぜ好きな人と付き合わなければならないのか、好きな相手も自分を好いてくれなきゃならないのか。真剣に考えてみると、意外と自明なことではないと気づく。見返りを求める恋を、果たして恋と呼んでいいのだろうか? いや、恋とはそれを前提とした語彙なのだろうか。

 このことに関する論考は別の機会に譲るとして、こんなことを言っておいてともかく、僕は勝手に彼女を好きになっておきながら、恋心を持て余して苦悶し続ける。苦悶を緩和するためには先に述べた一般的な方針をとればいいのだろうが、僕は彼女と付き合う未来が想像できなかった。「男性として意識したことはない」と彼女から明かされるまでにも、僕にはそんな気がしていた。恋愛のプロであれば自分を好きにさせればいい、というのだろうけど、僕なんかにはそんな芸当、到底なしえない。

 

 そこで僕はどうしたかというと、自分の恋が"本物"であるかどうかを精査しようとした。恋を本物/偽物に二分できるとはとうぜん思ってなくて、ありていにいえば諦めようとしたのだった。能動的に会おうとしなければ会えない相手への恋心など、煩わしいものでしかない。こんな思いとは早く訣別した方がいい。だから諦めようと、解消しようと取り組んだのだ。具体的には、愛みたいなものや刺激への飢えから生じているんではなかろうか、もっと簡単にいえば、恋愛したいがために恋心を増幅させているのではなかろうか、と問いかけた。

 しかし、そんな問いかけも不毛だと思い至るようになる。別に欲求不満に端を発したって構わない。そもそも人間に変化をもたらすものというのは、いつだって満たされない気持ちなのだ。完全に充足した人間などありえない。だから僕らは走り続けることができる。

 そんなこんなで、秋から冬にかけて、僕は猛烈に恋をしていた。布団に入るといつも胸が締めつけられた。はぁ、好き。どうすればいいのかまるでわからなかった。ガチ恋娘。というニックネームをつけてツイッターで濫用した。夢にも何度か登場させた。キモい自覚はそうとうにあった。しかし僕にはキモさしかとりえがない。
 いっそ、もっとキモくなってやろう。そんな心理がはたらいたのか、いやさすがにそんなことはないと信じたいが、僕は詩を書いて告白することにしたのだった。告白することは失恋することと同義だった。僕は持て余した恋心の最期を見届けようと思った。
 

 しかし、失恋は一度では完遂されなかった。ひとえに彼女のやさしさゆえのことだったと思う。そして、僕の"ガチ恋"に神様が少しだけ微笑んでもくれていた。

 クリスマスから三カ月以上がたち、大学四年生の春。大学へ向かう丸の内線の車内、三両目。ここにおいて失恋は完成し、完了したのだった。「やっぱり今の私には付き合うのは難しいです」という言葉を、ようやく引き出したのだった。

 その期間、多忙な彼女の心を少なからず煩わせてしまった。そう思うと僕は途端に死にたくなった。消えてなくなりたいと思った。存在していることがたまらなくなった。

 失恋の完成は喪失だった。告白したときから全体像は見えていたのに、完成した瞬間、無である。 ひそかにくすぶっていた希望というものが完全に立ち消えたことの証明だった。

 

 しかし、失恋しても恋は失われない。読んで字のごとく、でないのだ。彼女と付き合うことはできなかった。恋は失敗に終わった、ということなのだろう。それは恋を失うことを意味しない。果たされなかった恋は僕に残り続ける。その恋を抱えたまま、僕は消えてなくなりたい。存在を終えたい。そんな気持ちだっただろうか。

 

 電車は本郷三丁目の駅に到着する。無の衣装をまとった僕は大学へと歩みを進める。

 人がいないところへ行きたい。無の空間へ行きたい。しかし無の空間などは存在しない。空間がある以上、そこは無ではない。僕も身体が存在するかぎり、無ではない。

 授業が行われている教室ではなく、図書館へ向かう。僕は言葉に吸収されてしまおうと思った。言葉と一体化しようと思った。言葉とは人間の存在があって初めて意味を手にできる。そうでなければ無である。ならば、言葉と一体化すればいい。

 僕は僕を吸収してくれそうな言葉を探そうとした。とうぜんそんなことは不可能だった。第一いっていることの意味がわからない。代わりに僕の中に残っていた、恋がみすぼらしく姿を変えた"わだかまり"がセンサーとなり、ある言葉を検知した。

 ──<非モテ>。

 その本のいうところによると、「非モテ」とは単に女性に相手にされないとか、交際経験がないとかいった即物的な概念ではない。もっと複雑な心的構造に基づいた、根深い問題なのであるという。女性と付き合ったところで解消されるわけではない、厄介極まりない病理。

 僕は大いに納得していた。同時に自分が非モテであるとも認識した。抗おうという意思はもうなかった。非モテは別に烙印などではない。モテが尊いことでも、偉いことでも、優れていることでもないのだ。そしてなにより、僕にはキモさしかとりえがない。

 

 彼女はいった。「仲のいい友人として、これからも展覧会とか行ったりしたいです」   

 僕は選択した。非モテの形象として、彼女と仲のいい友人として、仲良くやっていこうということを。

 僕は解釈した。仲のいい友人ができたというだけでも、ものすごい快挙ではないか、と。一般的に友人というものはつくることができない。対して恋人はいくらでもつくれる。口約束で成立、という手順が万人に認識されている。でも、友人はそうはいかない。改めて確認することができない。

 だから「友達がいない」という迂闊な発言が生まれたりする。だから「友達」と「知り合い」という言葉の使い分けに迷ったりする。だから僕は、彼女のことをなんと呼べばいいのかわからないでいた。

 でも今、僕らは晴れて友人になった。友達になった。それも仲のいい、と決まっている。

 

  <ガチ恋侍-ガチ恋娘。>という非対称な関係から、<仲のいい友人同士>という対称な関係へ。

 僕はこの結末を、失恋だとは思わない。