もう世の中に対して言いたいことなんて何一つありません

なんらかの文章を読んでて、それに触発されてなんらかの文章を書きたいと思ってブログを書き始めるまではいけるけれども、書いてて途端にこれは書きたいだけで書いてるんであって言いたいことでもなんでもないんやと馬鹿らしくなり、全消去あるいはもう二度と見ないだろうにワンガリマータイよろしく律儀に下書きに残すかする。

 

で飽きた。

 

ところで言いたいことって何やねんと。言いたいことは必ずしも伝えたいことではなくて、絶妙に真意が伝わらんように我流の言葉遣いで言ったりしたいわけでさ。言いたいってのは自分の脳を書き起こしたいってわけで、なんせ忘れるからで、言いたいことと伝えたいことは別物。この前提を全人間と共有しておきたいということだけ伝えたいので伝えたつもり。

 

まだ話すけど、いつからか「もう世の中に対して言いたいことなんて何一つありません」ってセリフが不意にリフレインするようになってしまって、はてどこで聞いたセリフ、調べるとandymoriのクレイジークレーマーって曲の締めの言葉やった。

 

この、世の中に対して言いたいことってのが、自分の辞書的な意味での伝えたいことなんだね。世の中に対さずに言いたいことはたくさんあるってことよ。あるってわけよ。年がら年中頭ん中毒々しい言葉がしっちゃかめっちゃかしてたら、健康を害す。こう見えて健康には気を遣うタイプ。気だけ遣って金は費わないのでなんら無意味。けど気持ちが大事、気持ちや気持ち! 朝一眞。

 

で、そうするとまあ、世の中に対して言いたいことなんて何一つありません、と自分も思ってるってわけ。潜在的にも顕在的にも。で、こうなると、物申したい輩、とりわけいいねを蒐集したいがために物申す輩、これはもう断じて許せないつうか気に食わないのであって、なぜなら自分の裏側の立場であるわけで、自分に影を落としてくる。それがコレクター冥利ですかと。物申したくなるんだがこれは引っ掛け、大いなるトラップ、自家撞着。必死でそんな思いを抑えて自我を守るプライドの塊、大化の改新した生ゴミの塊も真っ青なほどの塊であって、そんな自分が生ゴミも真っ青なほど穢らわしいことを主張したくて、書いている、真っ黒な夜。