東大入っても品性は養われなかったイキリオタクの懺悔

捉えどころのない生の苦しみの中を、ユーモアと哲学で颯爽と駆け抜けていきたい。一介の冴えない大学生。

ふと、、

なんとなく、自分のブログを読み返していた。今年に入って更新していなかったがアクセス数は堅調で、何が読まれているのか気になっていたところでもあった。

思っていたより面白かった。これはもちろん、この自分が過去に書いたものだという事実に裏打ちされているだけで、記事自体がどうこうの話じゃない。(記事ごとに文体がブレてるのはちょっとウケた。個人的なイチオシは「恐怖のグルディス」だったり。難解ですけどね。)

事件性の極めて少ない日々の記録ではあるが、当事者の自分にとってはこれっきりだから、愛してやらねばならないのだ。どうも僕は、自分の手で生活を変えていこう、という気概よりかは、やってきた出来事を自分なりにどう受け止め、表現していくかを生きがいにしている節がある。

もっとも今年は、さすがに燻っているのも飽き飽きしたので、飛躍するチャンスを窺おうとはしております。誰か私を見出してくださいって言うてま〜す。M-1出るなりラジオやるなり同人誌作るなり、何でも来なさい。

それは冗談にしろ、殻を破るためにはこんな閉鎖的なブログに閉じこもって更新していても仕方ないのかな、なんて思った夜もあって運営方針が曖昧になったりもしたけど、見返すとやっぱり面白かったので、将来の楽しみを増やすためにぼちぼち更新したい。将来の可能性が減っていかない程度にね。

書けることは書き留めているので、時間があればドバドバ放出していける態勢ではあるので。クオリティはともかくね。実際は書きたい衝動に駆られた時すぐにそれをぶつけないと、後からメモを見返してもあまり気が乗らないことが予想されるけど。

 

話を戻すと、自分が作ったものは意思や意図や企てがハッキリ分かるから、当然楽しめるのだが、他人のものになるとどうだろう。完全に味わうのが不可能なのは承知で、無意識に面白いものとつまらないものに区分けしていると思う。

知っている人が作ったものであればそれだけで興味が生まれるし、ブログであればこいつこんな事してんのか、とかあんなヤバい事考えてんのか、てな具合に楽しめる。Twitterにしてもそうだ。ツイートの主体を知っているという情報に依存している面が大きすぎる。

中身だけを切り取ってよくよく見てみると、どうでもいいことばかり書いてある。そのくせ大量のいいねをもらう人がいるかと思えば、僕みたいに歯牙にもかけられない哀れな野郎もいる。

一部の実力者は不特定多数の人間から支持を集めることができる。発信者のキャラがわかりやすく打ち出され、一貫したテイストの万人に理解される高質な投稿をしていけばそうなるのも頷ける。

自分にはその実力がないため、彼らに嫉妬し歯痒い思いをすることしかできないが、Twitterより更新するのに気力がいるブログについては、どう向き合えばいいのだろう。

出来ることならば現実の僕を知らない人にも定期読者になってもらいたい。そのために必要なのは戦略と実力だと思うが、ここを主戦場とするのも味気ないから戦略に頭を使いたくないのが本音だ。ただ、こういう地道なところから攻略していくのも必要か。

ゆくゆくはこのブログの読者とオフ会とかできたら面白いかななんて思ってるんで、どうぞ広めてください。

結局はこれからも、好きなことを書くと思います。

 

時間をくれ!

あと読者登録してくれ!

 

最初に何を思って書こうとしたのか忘れてしまったが、政治と同じことなんでしょう、多分。以上、布団からお送りしました。