エール-何事も頑張れない人へ-

皆さん、一週間の始まりを前に憂鬱な夜をお過ごしでしょうか。

明日を迎えまいと、必死に休日を引き延ばしにかかっているのではないでしょうか。

大して面白くもないタイムラインに、何のひねりもない鬱ツイートを張り付けていませんか。それはぼくだけですか。

ですが、それは無駄です。時は流れ続けますから。

余計な憂いや意地は捨て、今すぐ寝てやった方がいいでしょう。

大丈夫です、心配事の9割は起こりません。

 

完全に他人事のつもりで書きました。かつての僕は日曜日になればいわゆるサザエさん症候群に苛まれ、学校が始まるのが嫌すぎてサザエさんが打ち切りになる呪文を唱え続けていたのですが、長谷川町子の親族から慰謝料を請求されてからはやめました。

実際、今は完全に他人事となっています。平日も休日もほぼ等価だからです。学校に行くことを強制されはしないし、元々出たい授業もほとんどない。なんともお気楽な身分で、心配事の絶えない母親には申し訳なさまで感じます。

この生活が終わってしまうのが恐怖です。変な言い方ですが、毎日その日限りで生きたい。先を見据えて生活するのはしんどいです。たとえ楽しみなことであれ、どうしようもなく嫌なことであれ、予定を遂行しなければならないプレッシャーが心を蝕みます。予定があるということはあらゆる可能性が排除された状態で、それが嫌。未知な世界がワクワクさせてくれますから。

先のこと、考えたくないものです。あれをやってこれをやって……と思うとすぐやる気がなくなります。かえって何もできなくなります。するとどんどん時間が奪われて行って、焦りは募りに募り、追い込まれてゆく悪循環。皆さんも日々実感していることでしょう。

これを感じない人は強いです。みなぎるやる気に身を任せ、躊躇なく行動できます。そういう人になりたい。

そのためにはどうすればいいのでしょうか。

ぼくが思うには、やることを一つに絞るということです。そうすればto-doリストなんか作らなくても済みますし、事の優先順位に頭を悩ませなくてもいい。

能力の高い人はマルチタスクもなんのその、という感じかもしれませんが、多くの人にはそれができないはずです。ぼくはできません。第一志望の大学に現役合格した人がすごいとぼくが思うのは、そこなんですよ。よく学校生活と受験勉強を両立できたなと。僕には無理でした。どれどころか、僕の特性が災いして両方とも中途半端に終わってしまいました。後悔がないと言えば嘘になります。

だから、一つに絞ればいいんです。迷いが減って間違いなく成果が上がります。一つと言っても狭い範囲に限定する必要はなくて、広い分野でもなんでも、方向性が定まっていればいいと思うのですが。ではなぜそれをしないのか。

したいことが山ほどあるからです。将来のためにしておいた方がいいことだったり、何の得にもならないけど純粋に楽しいことだったり、周りがやっていることだったり、まあ色々とあるでしょう。僕みたいに開放性が強い人であればなおさら。

でも、果たしてそうでしょうか。やりたいことが本当にたくさんあるのでしょうか。本当は一つもないから、色々なものに食指が動くだけではないでしょうか。いやそうです。僕はそう思います。

めちゃくちゃやりたい、やってて楽しく夢中になれることがあれば、他のことは犠牲にできると思います。色々なことがやりたくなる人は、そこまでのものにまだ出会えていない、もしくはその域になるまで続けられていないのだと思います。

もちろん、他の観点からも説明できるでしょう。一つに絞ることへの恐怖心。それで成果があがらなければ、自分にはその方面への適性がないことが露見してしまいます。言い訳ができないわけですから。それから逃れるために色々と手を出してしまうのはありがちな話です。

他には多分野で才能を発揮し、頑張っている人と比較してしまいがちということがあるでしょう。ですけどね、まず何一つ成果を出せていない自分がそんなことするのはおこがましい、と胸に刻むべきです。無為な時間を刻んでる場合じゃないです。

「若いうちは色々やっておいた方がいい」とよく聞きますが、これは一理あるでしょう。自分の適性に気付くチャンスが増えるわけですから。ただ注意してほしいのは、別に「同時にやれ」とは言っていないところです。同時にやっても仕方ないと思います。集中的に取り組まないと「いい経験」なんていう中身のない言葉で終わってしまいます。

とここまで語ってきましたが、結局僕は色々とやってみようとしてるだけで、何もしていません。

それで幸せならばいいのではないでしょうか。

ただこんなことを書いてしまったのは、自身の現状に不満を抱えているからに他なりませんよね、ということです。

駄文失礼しました。

 

 

憂鬱の散髪

(前のブログを受けて正気に戻った俺)それでも、生きてるだけで試合終了が近づいてくるのって恐怖ですよね。厳密にはある行為が寿命を延ばす一方で、ある行為が死を一気に近づけてるんだろうけど。そんな機械みたいにできてないか。

生きることについて考えだすときりがないし、霧が晴れることもないから、視野を広げて別のものを見た方がいい。

何が言いたいかって、前髪が鬱陶しくなってきた。

 

憂鬱の散髪。

昔から散髪が苦手だ。小学生のとき、髪を切った翌日に学校で「頭切った?」と言われるのが嫌だった。しょうもない、いじわるな質問に付き合うのが嫌だった。いつしか面倒だから「お前は首を切ったらどうだ?」と答えるようになっていた。そんな最悪な返しをしてしまうぐらい嫌だった。友達を十人は失った。

あと、自分が他人に見られていることを実感するのが嫌だった。髪の長さが変わっただけでそんなに気が付くものなのか、とショックだった。当時は人から注目されたくなかった。まだイキリオタクになる前のこと。

中学生になると、少し見た目を気にするようになった。いつから近所の床屋に行くのをやめたかはっきり覚えてないが、おそらくこの頃。ただ髪型についての知識を何も持ちあわせていないから、要望を聞かれても長め、短めぐらいしか答えられず、恥ずかしかった。自分ごときが美容院に行っているということ自体も恥ずかしかった。先にコンタクトにするべきだった。

高校生になると、散髪する前にはネットで髪型に関する情報を集めたりしだした。「男 高校生 髪型」などと検索するとホットペーパービューティーとかまとめサイトが出てきて、気に入った髪型を見つけたりした。勇気を出して美容師さんに写真を見せたりして、自分の理想に近づけてもらうようにした。でも皆が経験済みだと思うけど、イメージ通りにはいかない。第一ああいうカタログは一流の美容師がパーマとかカラーとかにまでこだわって作り上げてるもので、カットだけではどうしようもない。本当にその髪型にしたければ、掲載されている店に行って諸々オプションを付ける必要がある。

あと肝心なのが、自分の顔面は変えられないという圧倒的な事実である。そもそもカタログの髪型自体、モデルの顔がいいかどうかでほとんどの印象が決まってくる。そういうわけで、美容院に行くのは無駄に緊張するうえ、満足感もそこまで得られないという愚行なのだった。浪人期までは4カ月髪を切ってないとかざらで、しばしば髪の量がヤバイことになっていた。

大学生になるとさらにわけがわからない理由で散髪が憂鬱になった。美容師と会話を成立させなければならないプレッシャー。大学生だと言うと自身の大学生活を振り返ってだろうか、色々な質問をしてきてくれるのだが、思った通りに答えていたんじゃ変わり者だと思われてしまう。サークル何やってるの、と聞かれてペタンク、じゃあんまりでしょ。ペタンクについて説明したって、それ面白いんですか?(笑)と呆れられるのが関の山だ。最近旅行しましたと言うと、誰とどこへ行ったのか聞かれる。一人で佐賀へ、なんて答えたらやっぱり怪訝な顔をされてしまう。

噛み合わない会話をおそるおそるするぐらいなら、違う自分を演じた方がいいんじゃないかと思うようになった。だからサークルは適当にテニスだとか、そしたらテニスの話題になってナダル強いですよね、など無難な話に持っていけるし、友達もいて充実した大学生活を送ってる感じを出す。彼女がいるとか言っちゃうと恥ずかしいからそこは触れない。こうすれば当たり障りのない会話ができ、お互い気まずい思いもしなくて済む。

これで問題は解決、かと思われたのだが、一つ不安が生じた。次に同じ店に行ったとき、前回の人物設定を覚えていられるのだろうか?と。向こうは絶対覚えてないだろうし、杞憂に過ぎないはずなのだが、ずっと通うとなると厄介かもしれない。ましてどうしても通いたくなるほど気に入ることもない。だから、毎回店を変えるようになった。人間関係を構築するのが苦手な俺らしい、妙な習慣。旅行前に空港で慌てて散髪したこともあれば、札幌のど真ん中の店を訪れたこともある。

これはずっとそうなのだが、髪が伸びてくると次こそはイメチェンしてみようかと思ったりもするのだが、なかなか勇気が出ない。髪を染めたこともない。大学に入ってから染髪禁止の本屋でバイトしていたので仕方ない部分もあるのだが、9月で辞めたのでもはや障害はない。 ただ、こだわればその分お金がかかるし、いい感じの状態って続いてもせいぜい二週間だと思うから躊躇う。似合うかもわからないし、博打したくはない。これが保守派のイカ東だ。

ただ久々に友人に会ったりすると、必ずといっていいほど「変わらないね」と言われるので、別に悪いことではないのだが微妙な気持ちになる。次は遊んでみようという気になる。アンビバレンス。

以上を踏まえて、今まさに迷っている渦中である。イメチェンするか、しないか。先延ばしにしても鬱陶しさの度合いが単調増加するだけなので、来週中には切りたいと思って二週間ぐらい経つ。ここまでつらつら書いたはいいけど、結局僕は後者を選ぶという確信がある。伸びきった前髪の隙間からでも、その未来はくっきり見えている。

 

 

 

鬱ぶってたってしかたない

お久しぶりです。前回の投稿からすっかり間が空いてしまいました。

皆さん読者登録ありがとうございます。率直に嬉しい。いずれ日本国民の教科書と呼ばれるようになるまで死ねません。

このブログを活動するための最後の頼みの綱にするはずだったのですが、それすら気が向かず日数を消化してしまい、自分を高く見積もりすぎていたなと反省しています。

今日はテンションが高いうちに書いちゃうよ!

 

やっぱり鬱は時間の無駄なんですよ。ちょっと鬱っぽいと外出するのも億劫だし、人に会うなんてもってのほかだし、だからといって引きこもってたら鬱が加速してく一方だし、どうにもうまくいかねえ!

俺は生きてる実感が欲しいのに、だから時が流れるのを観測してたいのに、気づいたらお腹がすいてて空は明るくなってて眠気が丁度いい感じになってて、で意志が弱いから寝てて。時が流れるのを実感してただけなのに。世間ではこれを無駄無駄無駄無駄ァッ!って言うそうじゃん。

なんで起きてるだけなのに眠くなんなきゃなんねーんだよ!クソ!

ま、時間を観測するなんて無理なんすよね。結局。何らかの他の活動をすることで、何とか生きてる感じを味わうしかないんすよね。まったく。何言ってるかわけわかんないよね。

で、まあなーんか退屈で、かといって何かしようとも思わないし一人で部屋で鬱々としてることが多い毎日だけど、まだ俺には生きる力があるんだって思ったりもしたんだ。

 

たとえば昨日は5限に出ようと思って、先週出された課題に取り組もうとした。

永山則夫に関する動画を見てレポートを書くっていうやつで、他の課題だったら義務感なんてポイして寝てたんだろうけど、面白そうだったからやろうと。

でまあせいぜい10分ぐらいの短い動画だろうと思って3時20分にyoutubeで検索して、再生時間を見てビビった。まさかの1時間30分。

永遠に間に合わんやん。いや永遠には間に合うんやろうけど、まあ授業には間に合わんやん。ちな4時50分開始。

あーもう授業サボっちゃおうかなあと思ったけど、これまで奇跡の全出席を果たしている好きめの授業だったから一旦落ち着いて考えた。

今からぶっ通しで見続けたら授業が始まる前かちょい過ぎたぐらいで見終わるやん。

それから授業中にうまいこと書けばええやんと。レポートといっても手書きで良かったから。

そっからの俺は久しぶりに生きてた。

服を着替える間もコンビニで朝飯を買う間も目線を画面からそらさず、どうしても見れないときは目を離す直前の画面を記憶して次の展開を予測し、自分で映像を脳内に流すという荒業をやってのけ、授業が始まるころに教室に着いた。なんとか見終わった。見ながらレポートに書ける論点も探して、構想は大体練れていた。

授業中はディスカッション中も脇目を適宜逸らしつつ書き進め、シャープペンシルの振動と脳内に流れるロッキーのテーマに合わせて講師の話に頷きつつ、1時間もせずに書き上げた。それも用紙いっぱいにビッシリと!

完全勝利。俺はまだやれるんだと思った。自分を追い込んだのは久々だった。思えばこれまでの人生も首の皮一枚のところで生きてきた。

留年だけはしたくない。頑張って3年生に上がれるようにする。この経験を自信にして。

 

木金と友人に会ってしゃべったからスッキリした。怪しいトークイベントに参加したし、エッセイ共著に向けての話もできた。能町みね子とも話せた。そういえば月曜だって服を買ったし、LINEミュージックの無料体験も始めたし、なんだ意外と活動してるじゃん。

そして何もしていない時間がもったいないとも思った。

活動しよう。最悪エッセイのネタ作りのためだっていいから。

よし。生きるぞ。

 

 

 

 

 

懺悔録#1 浪人したせいでバイトの面接落ちた話

こんばんは

7時寝15時起きの生活リズムがすっかり定着してきました

おかげで5限しか出れていない状況でございます(それでも5限出てるのはむしろ偉いかも?)

昨日は11時に起きたしちょっと遠出もして疲れたので帰ってすぐ寝ようと思ったのですが、電車で一駅分寝過ごした程度で眠気が取れてしまったようです

人体の神秘ですね(?)

 

というわけで特に書きたいこともないですが、こうしてキーボードをタイプしています

本当は読みたい本とかあるんだけどね、ちょっと目を動かすのがしんどいかな

 

まず良いニュースから

弊ブログ、なんと1000PV突破しました! みなさんありがとうございます

PVとはページビューの略で、このブログで言えばのべ何記事読まれたかということになります

同じ人が複数の記事を読んだ場合は記事の数だけカウントされますし、同じ記事を複数回開いた場合も回数分カウントされるというわけです

なんで1000といっても1000人が読んだというわけではないので、実はたいしたことありません

まあはてなブログの方から通知が来るので報告しておきました

僕の高校の後輩くんは、更新がない日でもチェックし全部の記事を4周したそうで、彼の意識の高さがうかがえます

皆さんも見習ってくださいといいたいですが、そんなに読まれたら恥ずかしいかもです

 

1000PV到達記念ではないですが、今回は皆さんお待ちかねの「懺悔」をしていきたいと思います

叩く準備はできてますか?

Here IKIRI go!

 

あれは4月上旬、2月に始まった春休みも3カ月目に突入し、中だるんでいた時期でした

何か新しいことを始めようと、あるバイトに応募したのです

それは日本語学校の数学(1A2B)講師でした

日本語学校というのは、日本への留学生が日本の大学入試(留学生用)に向けての勉強をする学校です

日本語や総合科目(社会科)についてはちゃんとした資格をもった先生が教えますが、主に理系科目は大学生のアルバイトが担当することが多いようです

人が足りていないんです

t-newsでこの案件を見た僕は早速応募フォームを開き、基本情報を入力します

そして自己アピール欄

まずは個別指導の経験などが豊富であることを、

次にセンター数学満点、東大二次試験数学74/80点と僕が証明しうる中で最もイキアピれそうな点数をオタク特有の高速フリックで打ち込み、

勝利を確信しました

 

案の定書類選考をかる~く通過し、面接の日がやってきました

面接は渋谷にあるトモノカイのオフィスで行われました

担当はMさんという方で、自身も台湾からの留学生であり日本の大学を卒業後、トモノカイに入社したそうです

面接は順調そのものでした

元々初対面の相手とはちゃんと話せるタイプなため、笑いも交えながら和やかな雰囲気で進んでいき、業務内容や条件についての説明・確認が終わり、

とここまでのMさんのリアクションから

勝利を再確認しました

 

これで夢の月収2桁生活突入かと思われた矢先、

履歴書の確認をされました

ただ別に動じることはありません

学歴だけなら文句なしのエリートである僕のことです

主な資格欄に中3で取得した英検準2級を書く余裕すらありました

しかしMさんは手ごわかった!

僕が思いもよらなかった箇所を指摘してきたのです

それは学歴の年度欄

2015年3月 私立○○高校卒業

2016年4月 東京大学教養学部文科三類)入学

おわかりでしょうか? そうです、この履歴書には空白の一年が存在していました

僕は一年間浪人していたことを素直に打ち明けました

なぜなら浪人したことに誇りを持っていたから

己の成長のためにあえて厳しい道を選んだわけですから当然です

言うなれば「俺は阿修羅。痛みを求め、戦い続ける者。」

 

しかし、どうやら僕は自分の価値観を盲信していたようでした

あまりにも狭い視野にとらわれた悲しい人間かな、知りませんでした

世間一般では、浪人は悪。無能。親不孝。恥知らず。精子からやり直せ。と罵倒されることを

Mさんもそのような考えの持ち主だったのでしょうか

明らかに渋い表情に変わります

一週間後に送られてきたメールからは、不採用の3文字が浮かび上がってきました

僕の目には涙が浮かんでいました 

これぞ(ロ)オニ(ン)の目にも涙です(意味はちがいます)

 

改めまして、この場を借りて懺悔したいと思います

「浪人のくせに成績でイキってすみませんでした、全生命体に懺悔!!」

 

(この記事は浪人生を罵倒するつもりで書かれたものではございません、あらかじめご了承くださいませ。僕はいつだって浪人生の味方です。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

my note

昨日、生協でノートを買った。何の変哲もないB罫のB5ノート。100円を切るノートはこれだけ!という宣伝文句に踊らされて。家に帰ってちょっと考えて、無地の表紙に「my idea」とサインペンで書いてみた。俺という人間を象徴するかのような、ちっちゃい文字で。

最近、といってもずっとそうなのかもしれないけど、店の文具コーナーにはやたらと趣向の凝らされたノートたちが並んでいる気がする。アメリカのどっか有名な大学での研究に基づいた、これを使うだけでアイデアが生み出しやすくなるとかいうノートだったり。議事録や板書を書くメインの欄とは別に、自分の意見などを書き留めるメモ欄があるタイプとか、めちゃくちゃシンプルな方眼ノートとか。主に大学生やビジネスマンがターゲットなんだろう。そういえば、賢い人はなぜ方眼ノートを使うのか、みたいなタイトルのうさんくさい本まであった気がする。ちょっと前には『東大合格生のノートはかならず美しい』という本が流行ったこともある。まあ、大げさに言えば、いいノートがいい人生を作り出す、ということらしい。俺はノートをそこまで大事だと思ったことはないし、というかノートを使うのがめちゃくちゃ下手だ。まとめノートなるものは最初の半ページぐらいで飽きるし、せいぜい授業中の暇つぶしに板書をとるぐらい。先生の話をせっせとメモするような気概もない。だからノートの重要性を叫ばれても心が動かされることはなくて、何ならちょっと冷めた目でみるような、いやデバイスより地頭でしょ、みたいな。書かなくても覚えられるし。イキリオタクは勉強のコツを聞かれるとノートはとらないって絶対答えるよね。俺は自分の頭が大したことないのは知ってるから、さすがに言えないけど。

でも昨日、ノートを買ってみた。実家には使ってないノートが大量にあるはずだから、貧乏性な俺はちょっともったいなさを感じながらも。ちなみにノートが無駄に余ってるのは、塾がビラにくっつけて配ってるノートをもらいまくっていたから。今思えば、配布バイトの兄ちゃんからしたら俺は救世主(メシアケチ)だったろうなあ。

実は前からノートを買おうと思っていた。自分の思考をメモするためのノート。思考っていうと大げさに聞こえるけど、ただただ思った・考えたことを吐き出す場所。『僕がブログを書く理由』で書いたことと被るが、自分の脳内だけにとどめておくのはもったいないから。忘れるかもしれないし、何より一度書いてみる、文字化してみることで新しい考えが浮かんでくる気がする。人と会話しているときが最も頭が活性化するらしいけど、手を動かしているときもそれに匹敵すると思う。見えないよりは見えた方がラクだろう。今まで書くのをどこか恐れていたのは、全てを放出してしまったら、自分の頭が空っぽだとわかってしまうと思っていたから。でもそうじゃなくて、書くことで新たなアイデアが浮かんでくるんだ。少なくとも可能性は高まると思う。実際この記事だって、「アイデアを メモするための ノート買う」ってたった十七音で終わる内容だろ?でも書き始めたら、結構長くなってる。回り道をする人生が楽しいように、冗長な文章ってのも味があっていい俺は思ってる。だからというわけじゃないけど、2行・約60~80文字に凝縮しなけりゃならない東大の現代文はすごく苦手だった。

少し話が逸れた。これまでは「ノートを買おう」という頭の中での決意すら、それを書き留めるノートの存在がなかったことで消え失せていってた。だから今回実行に至れたのは、割と奇跡だと思う。その前に受けた授業で色々考えたことがあって、それをどうしても残しておきたかったから。忘れるのが怖かったし、ブログのネタにしようとも思った。どうせ日の目をみることはないだろうし、書いておいたって仕方ないって思ってるダサい自分もいたから、ブログを始めたのはよかったかもしれない。結局まだノートは白紙なんだけど(買った直後、書こうと思って食堂に席を探してたら友達とバッタリ会って)、とりあえず買えたからよかった。好きなアーティストは歌詞作りのためにノートを使ってるし、憧れも抱いている。俺はアーティストじゃないけど、その真似事をするぐらい許してやりたい。理想は自分が脳内で発した言葉を瞬時に文字に起こしてくれる機械の誕生で、それまでは何ともアナログな方法でやっていこう。どんな時代でもアナログは侮れないと思う。古い人間だと言われるようになっても構わない。本来古いという言葉にマイナスの意味合いはないはずで、イメージを植え付けるのは人の勝手だから。

 

 

 

アンチ

初めてパソコンからブログを開いてみた。

スマホにはない機能だらけでごちゃごちゃしていて見づらい。

やっぱシンプルイズベスト。文章が書ければそれでいい。

 

東大のビスケットというフリーペーパーを読んでいたら、俺にぴったりなあるコーナーに出会った。

 

懺悔室

 

このブログ名にも含まれる懺悔の二文字。

友人の投稿が載っていて一人で笑っていたのだが、それはどうでもいい。(ちなみに、彼もまたイキリオタクである。)(イキリオタクは懺悔したがる。懺悔することでイキリオタクを自覚してるアピールをするが、それはもう最上級のイキリである。)

 

優秀な読者の皆さんならもうお分かりだろう。

今日のテーマはブログ名の由来です。

 

どうしてこんな長ったらしいけったいな名前にしたのか。(本来は懺悔"録"にしたかったのだが文字数超過で断念したほどには長い。)

ある事件がきっかけだった。

 

某日、俺は承認欲求マシマシイキリオタクらしくエゴサをしていたら、「巨人ファンの民度wwwwwwww」というスレを見つけた。

俺は巨人ファンだからまったく無関係ということはなさそうだけど、身に覚えがない。

スレを開き一瞬の緊張の後、爆笑した。マジで爆笑。この際爆笑という言葉の誤用は許してほしい。

 

なぜ爆笑したのか。俺のツイートの一つが晒されていたからだ。

 

確かにこれは巨人ファンの民度wwwwwwwwwwwというスレでも立てたくなる。

 

これだけならむしろ嬉しい。なんJに自分のツイートが載るなんて光栄。なんJ民のネタになるなんて生きててよかった。

 だけど俺のツイートに添えられたイッチの一文。

 

「東大入っても品性は養われないんだね〇〇〇〇(本名)くん」

 

まさかの本名晒し。facebookの写真まで。(盛れた写真ならまだよかったのに)

 

俺のアンチの仕業だと思った。アンチがいてもおかしくなかったから。そして叩くにはもってこいのツイート。

 

まあ、動揺はした。けど爆笑。さすがになんJで晒されるのは面白すぎる。

憤りとか恥じらいとかを超えて、「東大入っても品性は養われないんだね」という言葉のセンスに感動さえした。

だから栄えあるブログ名に使うことにした。それだけ。

 

このブログも奴に読まれていたら、それはそれで面白い。皮肉と受け止めないでほしい。

 

問題なのは就活とかで俺の名前で検索されると、このスレがすぐ出てきてしまうこと。広島の企業には一生就職できん。あ、某服の某山ならいけるかも(笑)

 

浪人時代に予備校の掲示板でディスられたこともあるのだが、駿台の王ゆえの名誉だと思う。

ただ、悪意が身の回りに潜んでいる事実には驚いたし、ショックだった。クリーンな世界で生きてきたつもりだったから。

 

このブログにしても、なるべく非難されないように運営していきたい。

卒業文集の「ブログが炎上しそうな人ランキング」で2位を獲得した実績はあるが、1位じゃなかったので大丈夫だと思う。クラスにブログ炎上する奴二人いたらヤバいから。

 

で、こんな名前にしたからには、俺のイキリオタクエピソードとその懺悔をブログのコンセプトにしようかとも思ったけど、そこまでイキるのはさすがに無理だった。まあ少しは公開するかもなんで、期待しててください。

 

 

 

 

 

無気力、無気力、雨、無気力

雨が降り続いている。

天気予報によれば向こう一週間は雨。

夜に聞く雨の音は風情があって好きだが、これだけ続くとさすがにうんざりする。当然引きこもっているわけにもいかない。

 

閉塞感に拍車がかかりそうだ。夏休みが終わってからというもの、あまり充実した日々を送れていない。

何もする気が起きない、といったところか。

夏休みは毎日予定があって、俺にしては充実しすぎていた。その反動なのか。

 

今学期を迎えるにあたって、俺には一つ決めていたことがあった。

ゆとりを持って生活するということ。

これまでの大学生活は、何かやらなければいけないという観念にとらわれて、精神的な余裕が少なかった。

予定が埋まっていないと焦りを感じたというか、とにかくスケジュール帳の空白を少なくしたかった。常に目先に目標を据えていたかった。

もちろんそのお陰で色々とやりたいことに挑戦できたし、充実していたのは間違いない。

ただ何度か苦しい思いをしたこともあった。

 

そういうわけで、やるべきことを増やさない、忙しくしないことを意識した。

結果、やるべきことがなくて圧倒的に暇になった。

その分勉強を頑張ろうと決めていた。加えて読書、映画、音楽など、作品に触れる時間を長くしたいと思っていた。

 

しかし、俺はやるべきことが何にもないと、本当に何もしないんだった。

課題に追われている時は、やりたいことなんていくらでも浮かんでくるのに。課題を放り投げて、心ゆくままにやりたいことをやりたかったのに。

 

なのになんだが鬱々として、心が死んでいるから作品に触れる気も起きない。

そして厄介なのが、時間を無駄にしたという後悔。

本来やるべきことは何一つないのだから、いくらでも無駄にしたっていいはずなのに。

それでも何かができることを期待しているわけで、それが達成できなかった後悔。

これを毎日感じながら布団に入るのは実に虚しい。

 

せめてもの意地で、今夜はこれを書いているーー