アンチ

初めてパソコンからブログを開いてみた。

スマホにはない機能だらけでごちゃごちゃしていて見づらい。

やっぱシンプルイズベスト。文章が書ければそれでいい。

 

東大のビスケットというフリーペーパーを読んでいたら、俺にぴったりなあるコーナーに出会った。

 

懺悔室

 

このブログ名にも含まれる懺悔の二文字。

友人の投稿が載っていて一人で笑っていたのだが、それはどうでもいい。(ちなみに、彼もまたイキリオタクである。)(イキリオタクは懺悔したがる。懺悔することでイキリオタクを自覚してるアピールをするが、それはもう最上級のイキリである。)

 

優秀な読者の皆さんならもうお分かりだろう。

今日のテーマはブログ名の由来です。

 

どうしてこんな長ったらしいけったいな名前にしたのか。(本来は懺悔"録"にしたかったのだが文字数超過で断念したほどには長い。)

ある事件がきっかけだった。

 

某日、俺は承認欲求マシマシイキリオタクらしくエゴサをしていたら、「巨人ファンの民度wwwwwwww」というスレを見つけた。

俺は巨人ファンだからまったく無関係ということはなさそうだけど、身に覚えがない。

スレを開き一瞬の緊張の後、爆笑した。マジで爆笑。この際爆笑という言葉の誤用は許してほしい。

 

なぜ爆笑したのか。俺のツイートの一つが晒されていたからだ。

 

確かにこれは巨人ファンの民度wwwwwwwwwwwというスレでも立てたくなる。

 

これだけならむしろ嬉しい。なんJに自分のツイートが載るなんて光栄。なんJ民のネタになるなんて生きててよかった。

 だけど俺のツイートに添えられたイッチの一文。

 

「東大入っても品性は養われないんだね〇〇〇〇(本名)くん」

 

まさかの本名晒し。facebookの写真まで。(盛れた写真ならまだよかったのに)

 

俺のアンチの仕業だと思った。アンチがいてもおかしくなかったから。そして叩くにはもってこいのツイート。

 

まあ、動揺はした。けど爆笑。さすがになんJで晒されるのは面白すぎる。

憤りとか恥じらいとかを超えて、「東大入っても品性は養われないんだね」という言葉のセンスに感動さえした。

だから栄えあるブログ名に使うことにした。それだけ。

 

このブログも奴に読まれていたら、それはそれで面白い。皮肉と受け止めないでほしい。

 

問題なのは就活とかで俺の名前で検索されると、このスレがすぐ出てきてしまうこと。広島の企業には一生就職できん。あ、某服の某山ならいけるかも(笑)

 

浪人時代に予備校の掲示板でディスられたこともあるのだが、駿台の王ゆえの名誉だと思う。

ただ、悪意が身の回りに潜んでいる事実には驚いたし、ショックだった。クリーンな世界で生きてきたつもりだったから。

 

このブログにしても、なるべく非難されないように運営していきたい。

卒業文集の「ブログが炎上しそうな人ランキング」で2位を獲得した実績はあるが、1位じゃなかったので大丈夫だと思う。クラスにブログ炎上する奴二人いたらヤバいから。

 

で、こんな名前にしたからには、俺のイキリオタクエピソードとその懺悔をブログのコンセプトにしようかとも思ったけど、そこまでイキるのはさすがに無理だった。まあ少しは公開するかもなんで、期待しててください。

 

 

 

 

 

無気力、無気力、雨、無気力

雨が降り続いている。

天気予報によれば向こう一週間は雨。

夜に聞く雨の音は風情があって好きだが、これだけ続くとさすがにうんざりする。当然引きこもっているわけにもいかない。

 

閉塞感に拍車がかかりそうだ。夏休みが終わってからというもの、あまり充実した日々を送れていない。

何もする気が起きない、といったところか。

夏休みは毎日予定があって、俺にしては充実しすぎていた。その反動なのか。

 

今学期を迎えるにあたって、俺には一つ決めていたことがあった。

ゆとりを持って生活するということ。

これまでの大学生活は、何かやらなければいけないという観念にとらわれて、精神的な余裕が少なかった。

予定が埋まっていないと焦りを感じたというか、とにかくスケジュール帳の空白を少なくしたかった。常に目先に目標を据えていたかった。

もちろんそのお陰で色々とやりたいことに挑戦できたし、充実していたのは間違いない。

ただ何度か苦しい思いをしたこともあった。

 

そういうわけで、やるべきことを増やさない、忙しくしないことを意識した。

結果、やるべきことがなくて圧倒的に暇になった。

その分勉強を頑張ろうと決めていた。加えて読書、映画、音楽など、作品に触れる時間を長くしたいと思っていた。

 

しかし、俺はやるべきことが何にもないと、本当に何もしないんだった。

課題に追われている時は、やりたいことなんていくらでも浮かんでくるのに。課題を放り投げて、心ゆくままにやりたいことをやりたかったのに。

 

なのになんだが鬱々として、心が死んでいるから作品に触れる気も起きない。

そして厄介なのが、時間を無駄にしたという後悔。

本来やるべきことは何一つないのだから、いくらでも無駄にしたっていいはずなのに。

それでも何かができることを期待しているわけで、それが達成できなかった後悔。

これを毎日感じながら布団に入るのは実に虚しい。

 

せめてもの意地で、今夜はこれを書いているーー

 

 

 

僕がブログを書く理由

なぜブログを始めてしまったのか。

最初の記事で少し触れたが、改めて整理しようと思う。

実は、元々ブログをやっていた過去がある。高1,2の時、それぞれ始めて1週間もせずに放置してしまったのだが。

その時は知人に公開することはしなかった。単純に恥ずかしかったからだ。自己顕示欲が羞恥心を上回ることはなかった。ただ見る人がいなければ書く意欲が湧かないのも当然だった。

読む側としては、中学生の頃部活の先輩がやっていたブログを読んでいた。受験期は「東大受験ブログ」というサイトで人気のブログを読むのが日課だった。ちなみに、圧倒的な学力で一躍人気ブロガーとなっていた阿々木慎二とは、大学で同じゼミに入った。学力に関しては一目置いていたし、懇親会で知り会った時の感動もひとしおだった。

ブログではないが、Facebookにくだらないポエム(僕たちはガイジポエムと呼んでいる)を投稿しまくっていた時期があった。当時の友達はほとんど高校同期だったから、恥ずかしさもそこまでなかったし、試験勉強期間の深夜テンションでは自制心が働かなかった。今となっては大学からの知り合いが増えたし何より年も重ねてしまったので、とてもじゃないが気軽に投稿出来なくなってしまった。

先日、懐かしいなと当時の投稿を読んでみた。"悩める思春期の若さ"が存分に表れていて、むず痒い気持ちがした。そして、子どもだと思っていた高校生の自分が意外と大人だったことに気づき、同時に今の自分は大分成長したつもりだったけど、まだまだ子どものままだなと実感した。ただ、変わっていない部分というのは、自分の大切な要素だと思うこともできる。

このように日々の出来事や心境を形として残しておけば、後で振り返ることができる。これが楽しいし有意義だから、ブログを始めたくなった。

もう一つ。文章を書きたいのは、日々の生活の痕跡を残すためだと思う。もちろん生きた証は自分に刻み込まれていくのだが、言葉にすることで客観的な確証が得られる気がする。今日も充実した一日だったと、せっかくだから思いたい。だから僕はTwitterを止められないのだ。

最後に、なぜ知人への公開に踏み切ったのか。Twitterでシェアしたため、フォロワーは僕のブログに気づいてると思う。恥ずかしいのではなかったのか。それをも承認欲求が上回ってしまったのか。どうだろう。

読み手がいなければ、自分の脳内を垂れ流しただけで終わってしまうと思ったから。日記だって記録に残るし、後から振り返ることはできる。一日を生きた確証も得られる。だけど、そこで完結してしまう気がした。読者がいることで、ある程度整った内容にする必要が生じるし、つまりより思考が洗練される。意見を求めることもできる。反響が自分の視座を高めてくれることもあるだろう。

忘れていたが、純粋に書くのが楽しい。インプットだけでは膨れ上がってしまうし、アウトプットも大事だよね。

そんなこんなで始めたブログなわけで、ある程度は読者がいることを念頭に置きつつも、目的は自分語りである。温かい目で見守ってやってほしい。それでは。

夜行

今、夜行バスに乗っている。

夜行バスは、とても暇だ。消灯される適切な時間に眠れる体質であれば、問題ない。だけど基本的に生活リズムが狂っている僕には不可能だ。今回だって18時半に博多で乗車してから爆睡し、2時間あまり経ったところで早くも目が覚めてしまった。

こうなると地獄だ。真っ暗な車内は本を読むこともできないし、ひたすらイヤホンを通して体に音楽を流し込むだけ。無論、音楽を聴くのは大好きだし、退屈というわけでもない。

が、ずっと起きているとケツの痛みを感じ出してしまう。窓側の席だと、せっかく停車の際に外の空気を吸おうとしても、隣の人は大抵寝ているから厄介だ。また今回は、ウォークマンの充電ゲージが点滅していて非常にマズい。

そして深夜2時頃になれば、懐かしい音楽に乗せられて色々と過去を振り返ってしまい、ひっそりと泣く。そうこうしているといつの間にか眠りについていて、早朝のSAで目が覚める。何の変哲もないうどんやラーメンが、普段の何倍も美味しそうに見える。無為に食欲に抗ったりはせず、出発の時刻と戦いながら勢いよく麺を啜っていく。無事間に合い、ほっと胸を撫で下ろす。やっと目的地のバスターミナルに着き、まだ朝は早いからか家までの電車は空いていて、清々しい気持ちになる。そして最寄りに着き、いつもの風景が視界に入ってきた瞬間、深く安堵し、足先に力を込めるのだ。

 

これまで夜行バスには何度もお世話になった。中高時代はクイズ研究部(いわゆるクイ研ってやつ)に所属していて、大きな大会は関東で開かれるのでよく遠征していた。

初めて乗ったのは高校生目前の春。先輩たちと同じバスに乗った。遅くまで隣の1つ上の先輩とおしゃべりしていたら、2つ上の先輩から怒られたのを強烈に覚えている。

それからは一人で乗ることが多かったが、高3目前の春、中1(4つ下!)の後輩と同じバスで大阪に帰った。後に高校生クイズで優勝を果たす、猪俣大輝である。入部当初からとにかくやる気に溢れ、遠征までしていた彼が偉業を成し遂げたのは、ごく自然なことだったのだ。

そんな高校生活の思い出が詰まった夜行バス。いつも祈るのは、安全運転で到着することのみ。運転手さん、今日もお願いします。

 

春休みにやりたいこと

夏休みが終わって2週間が経ちました。気が早いですが、春休みにやりたいことをリストアップしていきたいと思います。(随時更新予定)

プロ野球キャンプ地巡り

・関西再発見の旅

・B級スポットツアー

・ペタサー合宿 in Vietnam

・親密な関係の人と旅行

・恒例の限界18きっぷ/JR北海道&東日本パス旅ー47都道府県制覇へー

・ご当地ラーメン食べ歩き

・治験のバイト

【確定】

・2/24 黒木渚公演「〜幻想童話〜砂の城」参戦

・3/20 シークレット

 

旅行ばっかですね笑

読書やペタンクはもちろんですが、長期休暇にしかできないことといえばって感じです。

どれも実行できるかわかりませんが、同行したい人は是非言ってください!

とりあえずバイトしなきゃ……

 

 

他人への関心

皆さんは他人に関心がありますか?

僕は大いにあります。人間はどうしても他人と比較してしまう生き物だそうですので、きっと皆さんもおありでしょう。

ただ、僕は一際関心が強い方だと自負しております。学校の名簿などは必ず読み込みますし(フルネーム、部活、住んでる市町村を暗記してしまうレベル)、サークルの自己紹介冊子など他人のプロフィールを読むのが好きです。そのせいか中学生の頃からSNSに熱中し、受験生時代は東進の合格体験記を読み込むあまり、東大に落ちるという本末転倒な結果に。

それは置いといて、新しいコミュニティなどでの自己紹介が楽しみな時間だったりします。出身地、出身校、部活・サークル、バイト・インターン、交友関係、趣味、関心のある話題、休日の過ごし方、自慢できるエピソード、SNSのアカウント、旅行経験、恋愛経験、好きな音楽、好きな本、好きなブランド、好きな場所、好きな時間、将来の夢・目標などなど、知りたい情報は山ほどあります。包括して言うと、どんな人生を歩んできたか。全員の自叙伝を読みたいぐらいです(笑) しかし当然ながら、一度や二度会っただけでは全て、いやほんの一部さえも知り得ません。そして相手のことを知るためには、自分のことを相手に知ってもらう必要があるでしょう。ただ、自分のことを知られるのは恥ずかしいですよね。僕は秘密主義的なところがあり、自分のことを語るのは大好きなのですが、思うように伝えられないことが多いです。ミステリアスな部分を残しておきたいのか、相手が僕に抱いているであろうイメージを裏切りたくないのか、卑劣で矮小な自分を知られてしまうのが怖いのか、その辺はよくわかりませんが。人と仲良くなるのがあまり得意でないのは、この辺に原因があるんでしょうか。

話の趣旨が逸れてしまいましたが、前の記事に書いたよう一昨日学科の懇親会がありました。案の定自己紹介タイムがあり、みんながこの学科を選んだ理由が気になっていました。ただ手短に語れるものではないですし、というか深い理由はなく進振りのシステムに乗っかって来ただけの人も多そうな印象を受けました。それが残念でしたが、これから学科同期17人のことをよく知っていけたらいいなと思います。同期に限らず先輩、院生も。以上、学科の必修がなく演習の授業も取っていないため、学科に新しく友達ができなさそうで鬱気味になっている心境をぼやかして書いてみました。

 

進学先について

今日の晩は学科懇親会でした。

東大では入学後1年半の間、全員が教養学部に在籍し、2年の秋から各々が希望する学部・学科に進学することになっています。(厳密には3年から、今は内定段階)

僕は教育学部の基礎教育学コース(以下、基礎教)に内定しました。教育学部と言うと、先生になるの?と必ず聞かれますが、東大の教育学部は教員養成のための学部ではありません。教員免許を取りたい人は、別途教職科目を履修する必要があります。これがかなり大変なのですが、その話はおいおいしましょう。

教育学部は5つのコースに分かれており、基礎教のほか、比較教育社会学(比教社)、教育実践・政策学、教育心理学、身体教育学があります。基礎教以外のコースについては、名前から何となく何を学ぶか察しがつくかと思うのですが、基礎教って???何だかよくわかりませんよね。すみません、僕もよくわかってないんです(笑)

大学の友人に内定先の説明をする時も困りました。自分で選んだところなのに、情けないですよね。ホームページを参照すると、めっちゃざっくり言って「教育とは何か」「人間とは何か」という教育の最も基礎的な問いに対して、哲学、歴史学、人間学、臨床哲学の4つの学問分野からアプローチしていきます。ガッツリ教育をやるというより、文学部と教育学部の中間ぐらいのイメージですかね。

僕は文科三類に入学しましたが、入学前からやりたいことが決まっていたわけではありませんでした。予備校で貰った文学部のパンフレットに「人間とは何かということに興味がある諸君をお待ちしています」といった旨の記述があり、文三を受けることにしただけなのです。

そして入学後、いくつかの授業を受ける中で、自分は人間の考えてきたこと、思想に関心があることに気付いていきました。同時に、(主に教育を通した)人間の成長にも興味がありました。

ところで、記事の冒頭に各々が希望する学部・学科に進学すると書きましたが、各学科には定員がありますから、希望すれば必ず行けるわけではありません。主に1年半の成績によって決まります。僕は無駄な努力をしたくないタイプなので、早めに進学希望先を確定させ、そこに行くための最低限の成績だけ取りたかったのです。

そういう事情で、入学して間も無く進学先について考えるようになりました。ガイダンスに参加したりもしましたが、決め手になったのは時代錯誤社が発行する恒河沙という雑誌です。五月祭で進学選択特集号が売られているのを目にし、即購入。基礎教のページに目が留まりました。時錯に基礎教の人がいたのか、かなり詳しく説明されており、自分の関心領域に近い勉強ができそうだと思いました。おまけに、進学に必要な成績も高くなく、学生全体の上位70%に入れば大丈夫だろうという感じでした。

こうして基礎教への進学を志すようになりました。これにより点数をさほど気にする必要がなくなり、堕落した生活を送るようになるのですが。

そして無事、基礎教に内定したわけです。具体的には道徳教育をメインに学びたいと思っています。

 

おっと、懇親会について書くつもりが、すっかり長くなってしまいましたね……。疲れたので、次の記事に書くことにします(笑)