エール-何事も頑張れない人へ-

皆さん、一週間の始まりを前に憂鬱な夜をお過ごしでしょうか。

明日を迎えまいと、必死に休日を引き延ばしにかかっているのではないでしょうか。

大して面白くもないタイムラインに、何のひねりもない鬱ツイートを張り付けていませんか。それはぼくだけですか。

ですが、それは無駄です。時は流れ続けますから。

余計な憂いや意地は捨て、今すぐ寝てやった方がいいでしょう。

大丈夫です、心配事の9割は起こりません。

 

完全に他人事のつもりで書きました。かつての僕は日曜日になればいわゆるサザエさん症候群に苛まれ、学校が始まるのが嫌すぎてサザエさんが打ち切りになる呪文を唱え続けていたのですが、長谷川町子の親族から慰謝料を請求されてからはやめました。

実際、今は完全に他人事となっています。平日も休日もほぼ等価だからです。学校に行くことを強制されはしないし、元々出たい授業もほとんどない。なんともお気楽な身分で、心配事の絶えない母親には申し訳なさまで感じます。

この生活が終わってしまうのが恐怖です。変な言い方ですが、毎日その日限りで生きたい。先を見据えて生活するのはしんどいです。たとえ楽しみなことであれ、どうしようもなく嫌なことであれ、予定を遂行しなければならないプレッシャーが心を蝕みます。予定があるということはあらゆる可能性が排除された状態で、それが嫌。未知な世界がワクワクさせてくれますから。

先のこと、考えたくないものです。あれをやってこれをやって……と思うとすぐやる気がなくなります。かえって何もできなくなります。するとどんどん時間が奪われて行って、焦りは募りに募り、追い込まれてゆく悪循環。皆さんも日々実感していることでしょう。

これを感じない人は強いです。みなぎるやる気に身を任せ、躊躇なく行動できます。そういう人になりたい。

そのためにはどうすればいいのでしょうか。

ぼくが思うには、やることを一つに絞るということです。そうすればto-doリストなんか作らなくても済みますし、事の優先順位に頭を悩ませなくてもいい。

能力の高い人はマルチタスクもなんのその、という感じかもしれませんが、多くの人にはそれができないはずです。ぼくはできません。第一志望の大学に現役合格した人がすごいとぼくが思うのは、そこなんですよ。よく学校生活と受験勉強を両立できたなと。僕には無理でした。どれどころか、僕の特性が災いして両方とも中途半端に終わってしまいました。後悔がないと言えば嘘になります。

だから、一つに絞ればいいんです。迷いが減って間違いなく成果が上がります。一つと言っても狭い範囲に限定する必要はなくて、広い分野でもなんでも、方向性が定まっていればいいと思うのですが。ではなぜそれをしないのか。

したいことが山ほどあるからです。将来のためにしておいた方がいいことだったり、何の得にもならないけど純粋に楽しいことだったり、周りがやっていることだったり、まあ色々とあるでしょう。僕みたいに開放性が強い人であればなおさら。

でも、果たしてそうでしょうか。やりたいことが本当にたくさんあるのでしょうか。本当は一つもないから、色々なものに食指が動くだけではないでしょうか。いやそうです。僕はそう思います。

めちゃくちゃやりたい、やってて楽しく夢中になれることがあれば、他のことは犠牲にできると思います。色々なことがやりたくなる人は、そこまでのものにまだ出会えていない、もしくはその域になるまで続けられていないのだと思います。

もちろん、他の観点からも説明できるでしょう。一つに絞ることへの恐怖心。それで成果があがらなければ、自分にはその方面への適性がないことが露見してしまいます。言い訳ができないわけですから。それから逃れるために色々と手を出してしまうのはありがちな話です。

他には多分野で才能を発揮し、頑張っている人と比較してしまいがちということがあるでしょう。ですけどね、まず何一つ成果を出せていない自分がそんなことするのはおこがましい、と胸に刻むべきです。無為な時間を刻んでる場合じゃないです。

「若いうちは色々やっておいた方がいい」とよく聞きますが、これは一理あるでしょう。自分の適性に気付くチャンスが増えるわけですから。ただ注意してほしいのは、別に「同時にやれ」とは言っていないところです。同時にやっても仕方ないと思います。集中的に取り組まないと「いい経験」なんていう中身のない言葉で終わってしまいます。

とここまで語ってきましたが、結局僕は色々とやってみようとしてるだけで、何もしていません。

それで幸せならばいいのではないでしょうか。

ただこんなことを書いてしまったのは、自身の現状に不満を抱えているからに他なりませんよね、ということです。

駄文失礼しました。