結婚しました

 柴田聡子の曲を聴いていて(小学生の頃は「聡」と「聴」という字の見分けがつかず、聴くだなんて人の名前に似つかわしくないなと思っていた)、いつもは見ない歌詞の画面を見ていたら、やっぱりこの人は詩人だ! と雷に打たれたような気がして、落ち着くために席を立って窓辺から住む街を見下ろして浸ったりしてみたところで粗方落ち着いてから、聡子を真似して歌詞のような詩のような言葉を産出したいと思ったけれど、わたしには無意味っぽい言葉を計略的に配置する芸当などとてもじゃないけどできん、びえん、と哀しくなった。

 だから今日のできごとをふつうに書くことを決めたよ。

 わたしはどこまでいってもふつうだろうし、そう自覚することでなにが気持ちいいわけでもないが、わたしがわたしをふつうだと思うふつうな感性はかんたんには変えられないし、ふつうを取り柄に生きていくしかない。

 それにしても聡子はすごい、それにつけてもおやつはカール。わたしの髪型は王道ショート。二番、ショート、坂本勇人。そうです、プロ野球は明日開幕するのです。待ちに待った夏休みって、経験したことがあるのだろうか。夏に期待を抱いたことなどあるのだろうか。男の子と女の子がどこか遠くへ行くという夏、それだけの夏、それだけでしかない夏、それだけでしかない夏が懐かしい。

 気温はもう夏真っ盛り、アイスコーヒーを飲むとカフェインに脆弱なわたしは躁鬱を発症してしまうので、セックスをすれば実質キメセク、と彼氏に言ったら笑ってくれました。彼氏はやさしい、けどふつう。ふつうだけどやさしい、野菜一日これ一本を毎日飲むのが習慣、わたしへのラインは三日に一回。しりとりをすれば一回目でアウト。ふつうの感覚を維持するのも大変らしく、いつも言葉の出力に気を遣いすぎている。わたしはふつうだから、何をいってもいいというのに。そこがかわいい。ふつうにかわいい。ふつうってなに? とふつうなことを思っていると、わたしが入店したときに外国語のテキストを優雅に眺めていた女のひとはまだ優雅だった。

 ここは自習室のような感じがする。なぜだろうとすこし考えると、ひとりぼっちの客しかいないからだとわかった。というか長期滞在前提で、わたしたちをこの一角に集めてくれているから会話の反響は店の三分の二のエリアに集中している。今月オープンしたばかりで可動式の机がひろびろと並べられているこの部屋。

 ふつうのわたしが、唯一、ふつうじゃないがんばりでふつうじゃない成果を収めたのが大学受験だった。だから自習室とか連想してしまうんだろう。目の前に開かれている本は何を主張しているのだか、啓示しているのだか、ちんぷんかんぷんでまたまた幼い頃に読まなかった童話を思い出して罪悪感が差してくる。決して聡明ではないけれどまじめにやっていたらいいこともあるもんで、そんでもって一流大学に入ったけどそこにはわたしよりまじめな人しかいなかった、だから心を崩して二年間の休暇をとったけれど、今はあくせく卒論の準備を進めている。

 そんなことより聡子の歌声はかわいい。人間は顔を褒められるのが一番嬉しいに決まっている、と伝票のうらっかわに書きつけることがわたしにできる最善のこと。ホメオスタシス、褒めるスタンス。帰りに切れかけていた、というかすでに切れていたボディソープを買わなければいけない。わたしのうちのボディソープは、彼氏のうちのものと同じである。

My favorite 100 songs

 

井上陽水/夢の中へ

嘘とカメレオン/されど奇術師は賽を振る

大原櫻子(カバー)/おどるポンポコリン

大瀧詠一/Happy End で始めよう

天野月子/骨

後ろから這いより隊G恋は渾沌の隷也

i☆Ris(カバー)/おジャ魔女カーニバル!!

荒井由実やさしさに包まれたなら

赤い公園/カメレオン

阿部真央/這い上がれMY WAY

アイドルネッサンス(カバー)/6AM

あいみょん/今日の芸術,ナウなヤングにバカウケするのは当たり前だのクラッ歌

加藤和彦北山修あの素晴らしい愛をもう一度

加藤登紀子/嗚呼玉杯に(第一高等学校第12回記念寮歌)

学園生活部/ふ・れ・ん・ど・し・た・い

小南泰葉/パンを齧った美少女,パロディス

黒木渚/ふりだし

キャンディーズ/年下の男の子

コブクロ/神風

水曜日のカンパネラシャクシャイン

竜人25/A・B・Cじゃグッと来ない!!

相対性理論スマトラ警備隊

ザ・フォーク・クルセダーズ帰って来たヨッパライ

スーパーカー/cream soda

スピッツ夏の魔物

東京事変/電波通信

橘いずみ/失格

武田鉄矢一座/世界はグー・チョキ・パー

高橋洋子残酷な天使のテーゼ

チェッカーズギザギザハートの子守唄

チャットモンチー/いたちごっこ,8cmのピンヒール

でんぱ組.inc/STAR☆ッとしちゃうぜ春だしね

日食なつこ/Dig

虹のコンキスタドール/ミライ上々!!

広瀬香美/promise

葉加瀬太郎ハンガリー舞曲第5番(Etopirka ~Best Acoustic~)

ハヌマーン/ハイカラさんが通る

ぱすぽ☆/STEP&GO

ビーグルクルー/熱男~too Match~

フィロソフィーのダンス/ダンス・ファウンダー

ふぇのたす/ウルトラデラックススーパーストーリー

ベイビーレイズJAPAN/夜明け Brand New Days

妄想キャリブレーション/YOUをチェックします!

森高千里(カバー)/17才

眉村ちあき/メソ・ポタ・ミア

安田祥子由紀さおり/おおブレネリ

矢井田瞳/Look Back Again

ユニコーン/大迷惑(シングル・ヴァージョン)

渡辺美里My Revolution

ABBA/As Good As New,Intermezzo No.1,Dancing Queen

aiko/ボーイフレンド

Aqua Timezプルメリア ~花唄~

ASIAN KUNG-FU GENERATION/遥か彼方

Avril Lavigne/What the Hell

aya(カバー)/ハム太郎とっとこうた

Base Ball Bear/UNDER THE STAR LIGHT,レインメーカー

Cheeky Parade/Lost+Found

Connie Francis/Vacation

Cyndi Lauper/True Colors

FLiP/ワンダーランド

Folder 5/Believe

fripSidefuture gazer

Go!Go!7188/ななし

HKT48/スキ!スキ!スキップ!

Jigsaw/Sky high

J.S. Bach/チェンバロ協奏曲第4番イ長調

KOTOKO七転八起☆至上主義!

Kylie Minogue/The Loco-motion

LILI LIMIT/Festa

Masaaki Wada 和田昌昭/Circus サーカス

mintwice.inc/軍艦マーチ(EXTENDED VER,)

Mott The Hoople/The Golden Age of Rock N' Roll

Negicco/ときめきのヘッドライナー

never young beach/あまり行かない喫茶店

OGRE YOU ASSHOLE/ステージ

P-MODEL/OH MAMA!

People in The Box/ニムロッド

PRINCESS PRINCESS/DIAMONDS(ダイアモンド)

PUFFY渚にまつわるエトセトラ,Tokyo I'm On My Way

Queen/Bicycle Race

RCサクセション/雨あがりの夜空に

Sheryl Crow/Steve McQueen

The Beatles/Ob-La-Di, Ob-La-Da

The DoorsLight My Fire

The Flickers/city pop

The Idol Formerly Known As LADYBABY/Easter Bunny

the pillows/Stroll and roll

The Strokes/Under Cover of Darkness

THE YELLOW MONKEY/Chelsea Girl,Romantist Taste,JAM

tricot/爆裂パニエさん

vivid undress/はやるよろひや

 

 

 

 

 

たくわえる、かさねていく

 

圭織という名前の女の子がいた。

わざわざ「という名前」なんてつけなくとも、べつによくある名前だと、思っただろう。強いていえば、香織や佳織の方がよく見かけるくらいか。

 

圭織は築何十年か見当つかないような、狭い坂道の脇にある屋敷みたいな家に住んでいた。表札は資料集でしか見たことがないような味のある変色のしかたをしていて、こんな家が近所にあることにぼくは驚いた。

圭織の家族は、嫌味のない幸福な家庭を大切に築き上げてきていた。父親は歯科医かなにかで、両親はそろって品のいい顔立ちをしていた。夫婦の顔が似てくるというのは科学的にはよくわからないが、なるほどと思わせるものがあった。

圭織はアメリカの女の子のキャラクターがアップリケされたねずみ色のトレーナーをよく着ていて、彼女の姿を思い出そうとすると真っ先にその服が浮かんでくる。弟は肌が真っ白で、コロケーションの癖で「病的なほど」といってしまいそうになるけど、まったく逞しい顔つきをしていた。東欧風の。

悩みの種といえば、圭織の成績がかんばしくないことくらいだった。

 

圭織のことを好きな男の子がいた。トモヤという名前だった。トモヤが圭織に好意を抱いていることはなぜか塾じゅうに知れ渡っていて、模試の成績が振るわずクラスが下がった際、先生から「カオリちゃんがいるからって、浮かれとったらあかんぞ」とからかわれることもあった。

 

ぼくは小学生くらいまで、いろんなものを盗み読む悪い癖があって、クラスメイトのテストや提出物をよくこっそりチェックしていた。圭織は出席番号順でいちばんはじめだったのもあって、なおさら見てしまっていた。

圭織は一応は中学受験専門の塾に通っているにもかかわらず、学校のテストでさえ七十点とか取っちゃうこともあった。彼女は二重幅の広いたれ目が特徴の、とても整った可愛い顔をしていたから、ぼくは変に同情していたのかもしれない。

 

ある日、自分の名前の由来を親に訊いてくる、という課題が出た。翌日、めいめいがしかたなく書いてきたであろうプリントが出席番号順に集められ、先生は机の隅にまとめて置いた。

 

 「圭」はたくわえる、「織」はかさねていく。

 

気持ちが入っていないからなのか、そういう筆跡なのか、どっちもだと思うが、かぼそく、右肩下がりの文字列が並んでいた。

まずもって、膨大な余白を文章を繋いで少しでも埋めようとする努力を払っていないことに、ぼくは唖然としたような覚えがある。とはいえ、そんなことはまったく重要じゃなかった。

以来、ぼくは今日までこのエピソードを保存していた。折に触れて思い出すということもなかったのに。フォルダの最終更新は13年前で止まっていた。

 

 「圭」はたくわえる、「織」はかさねていく。

簡潔なフレーズだからこその、なよやかな字体とうらはらな力強さ。何事もちゃんとやらなければいけないと思っていたぼくに、新鮮な風を吹き込んでくれたのだった。

 

十歳の少女が生み出した、この凛とした一行詩を、伸びてきた顎鬚をさすりながら思い出したことには、一抹の申し訳なさをいだく。(髭が伸びる→髭をたくわえる→たくわえる、かさねていく というしょうもない連想だ)

それに、圭織と何回も書いていたら、彼女のことが好きだったのはぼくだった気がしてきた。

 

 

 

 

きっかけは、コロナ襲来。

 

以下の文章は2020年3月27日に書かれたものです

 

 "コロナウイルスの拡大を受けて、ツイッターのタイムラインがいつもにも増して騒がしくなっている。そこでは政治、経済、科学、医療、陰謀論などのトピックがかまびすしく叫ばれ、いったん落ち着いてくれ、とスマホを握る手で念を送りたくなる。

 各々のツイートには有益なもの(専門家の記事や公式資料など、エビデンスに基づくもの)もあるだろうし、個人的な悲劇(経営者や農家、販売員など)、政権に対する悲痛や皮肉、また煽り煽られる人々に対するメタ皮肉とでもいうべきものまで、まさしく玉石混交だ。

 僕が区切りを設けている「この」騒動(おそらく多くの人と共通した認識)は、いまのところたった3日間の出来事だ。3日前、東京オリンピックの最大1年の延期が発表された。2日前には、東京で新たに40数名の感染者が発生したと公表された。それに伴い、東京都知事は緊急会見で都民への「外出自粛要請」を呼びかけた。営業を再開していた文化施設や商業施設も、急遽週末の対応を迫られることになった。このあたりの正しい情報はニュースサイトを見てもらいたい。また、政府が経済対策として案出した「和牛券」の配布は痛烈な批判を浴び(戦後の配給制を持ち出してくる風刺まであった)、これらを含めた政府の動きに、ここぞとばかりに反発の声が上がっている。

 

 端的に言って、今の僕は困惑している。立往生しているといってもいい。自分がどういう行動をとればいいかがわからなくなっている。切実に生き方を問い直されているような気さえする。いったん落ち着くため、コロナ周りの経過についての個人的な感慨を振り返ってみる。

 武漢という耳慣れない地名を認識し、そこに端を発するウイルスが徐々に国外へと拡大し始めた段階では、MARSやSARSの再来で、これがまた地理の問題の題材に使われるようになるのかぐらいの、今生きる時代が歴史となり、過去とリンクするような妙な浮遊感があった。非現実なセカイへの浮ついた感情。感染者が現れた直後の沖縄に行く予定があり、海外からの便はいくつも欠航になるなど不安は多少あったが、それでも予定通り進んだ。2月下旬のライブ(黒木渚)も運良く自粛ムードが漂う少し前に開催され、千人のファンと空間を共にした。

 街では仰々しいマスクをつける人が目立つようになっていたが、メディアでの報道と比して僕の警戒心は薄かった。僕の周りも似たような感じで、それをひとえに肉体の若さゆえだと解釈していた。なんなら、あの黒く仮面のように厳めしいタイプのマスクには不快感さえ抱いていた。見慣れない異物に対するごく一般的な感情と、報道に踊らされて過度に警戒するような主体性のない態度を軽蔑する感情だったかもしれない。

 コロナウイルスによる悪影響全般に対しては、個人的な事情は関係なく悲痛な感情を持っていた。観光業界などへのダイレクトな経済打撃、シングルマザー家庭の子守り問題に、特に心を痛めていた。しかし、自分事にはなりようがなかった。強いて言えば、祖母の状況が多少気にかかるぐらいのものだった。

 バイト先ではマスクの着用と体温測定が義務付けられたが、うっかりマスクをつけ忘れかけることもあり、「社会」のためというより「規則」のためという意識が上回る状態だった。社会的なことなどつゆも考えていなかったかもしれない。もし自分が潜在的な感染者であり、街を出歩けば撒き散らすことがあったら、という想像も及ばなかった。報道では「○○県で初の感染者」という変な知識欲をくすぐるようなものにしか目が向かず、何より世界各国と比べて東京は運が良いのだと思っていた。これらはすべて、第二次の波が来る以前のことだった。

 

 この3日間で事態は急転した。第二波がこの国の首都を襲いかかってきたのだ。途端に我が身に降りかかってきた感覚だ。わかりやす過ぎるところでいえば、政府の言いつけを守って外出を控えるべきなのかどうか、という問いを突き付けられた。明白に指示されているのは今週末だけだから、今週末の土日だけ家にいればいいのか、それとも仕事の義務もない僕みたいな人間はそれ以外の日もおとなしくした方がいいのか。結局遊びの誘いは断ることにしたが、今こうして文章を書いているのは大学の図書館だ。僕は自分の欲求を満たすために本を借りに来たのだ。週末に備えて。ついでにバイトで小金を稼ぎにも行くのだ。

 コロナが席巻する社会への僕の態度がこんなにも切実なものに急転したことは、他人に言われずともあまりに馬鹿げていた。Absurdだった。これには「三島由紀夫vs東大全共闘」という映画を何の気なしに観てしまったことも大いに影響している。僕の政治本能が煥発し始めたのだ。すぐに関連書籍を二冊読み、矢も楯もたまらずに今日も本を借りに来た。手をこまねいているばかりで冷めた視線を送り、心中でたぎっている諸々を燻らせている自分が恥ずかしくなった。

 

 「個人的なことは政治的なことである(personal is political)」というのはフェミニズムの有名な標語だが、べつにフェミニズムに限った話ではない。どんな些細な個人的な体験や感情であっても、必然的に政治性を帯びていると思う(極化すれば陰謀論になってしまうのだろうが)。現代思想や芸術がそういう「とるにたらないもの」に目を向け肯定するようになってきたのも、インターネット社会の肌感覚とつじつまが合う。文化は時代を先行する。

 いまのタイムラインは、すべてのツイートが政治的なものに見えてきてしまう。それを僕は否定しないし、悲観もしない。意図したものであれそうでないものであれ、蔑みや嘲り、煽りを排除したものであれば、素直な感情や意見は発露していくべきではないかと思ったのだ。

 正直、昨今のツイッターには食傷気味の人も多いだろう。話題はいつも限られていて(ジェンダーとかナショナリズムとか)、何か人目に付く現象があればみんなが一言居士ぶりを発揮する。東浩紀は『一般意志2.0』で、これからのSNSがリベラル・ユートピアリチャード・ローティ)の実現に寄与する展望を描く冒険的な企てを行ったが、数年して自分の見立ては誤りだったと総括することになった。何でも気軽に発信できる時代だからこそ、何かを発信すること、何かを「言う」ことの価値が問われ、「ちゃんと言う」ことの意義が見直される。

 僕は人々の「見せかけの怒り」ともいうべきお気持ち表明に欺瞞を感じていた。最近は、国民に蔓延していた政治的シニシズムは払拭されたかのように、有名人やインフルエンサーの政治的発言が目立つようになった印象を受ける。一方で投票率は低下の一途をたどる。「政治意識があることを示す」パフォーマンスが価値を持つようになり、ネット有名人が自分の地歩を固めるために行うようになっているのではないかという穿った見方を自分はしてしまう(もっとも、そのような価値の転換が起こっている背景を考えれば、好ましいことだと言えるのだが)。要するに、ある種のコードに乗っているのである。本物の怒りではない、見せかけの怒りを駆使することで。

 しかしこの、本物と偽物を審美する第三者の態度は、もっとも非難されてしかるべきなのだろう。だから僕は反射的にそう感じてしまう自分がものすごく恥ずかしいし、だから僕は懺悔したい。個人的なことは政治的なことである。"

 

 

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エピゴーネン

勉強が嫌になって外へ飛び出して、することもないのでとりあえずただ歩いて、行くところもないのでただまっすぐ歩いて歩いて、いくつか公園や商店街や銀座通りなるものを抜けて、東武東上線沿いを歩いていて、板橋区に入って、やけに長いアーケードを歩いてたらサーティーワンカップを抱えて歩いてくる女性とすれ違いこんな冷える日によく食べるねえと思いつつも一人ぼっちでちょっとした楽しみを楽しめることってこの状況下ではとても大切なことだよねって納得して引き返して足が疲れたので東武東上線に乗って、素直にお家に帰るのも味気ないなと思って逆方向に乗って、東武東上線なんて多分ほとんど初めて乗って、目が乾いてきて目薬を刺したくなって帰りたくなって、でも電車は逆方向だから一向に家には辿りつかないと気づいて、もうすべてが面倒くさくなる、馬鹿らしくなる、そんな気持ちで飛び出してきたのだけど、歩いている時もずっとこんなことを考えていたのだけど、どこの公園も子どもが遊んでいてちっちゃい子には親も付き添っていておばあちゃんもいて一緒に遊んでいて、シーソーの片方を乗らずに押し続けてあげてて、代わりましょうかと声をかけるか迷ってかけずにじっと見ていて、公園の裏側にいた女の子なら簡単に拐えそうだと思ったりしてそれを懺悔したくて、けど未来において浮かばれないままの人生だったらロリコンになら転身しそうな気もするし、普通に捕まってる気もする、俺様が歩いてる前をずっと一組のカップルが歩いていてこんな寂れた場所仲良く歩くなよと思うがそれができるのが仲良い何よりの証拠、とでも言いたげなふたりの背中を見て一層苛立つ、寂れたといっても今日の曇天がそう見せかけているだけな気もしてメンタルと空模様の相関係数ほぼ1な自分、透明な自分、透明な自分って表現を広めたのはサカキバラなのかと思ったりする、僕の生まれた翌年に犯行したサカキバラ、バモイトオキ神、ダメ、ゼッタイ、でもなんで、でもダメ、ゼッタイ、てか彼女ほしいな、一緒に歩いてくれる彼女がほしいな、並んで歩く手を繋いで歩く、いいないいな、人間っていいな、おいしいおやつにぽかぽかおふろ、あったかいふとんでねむるんだろな、僕は帰れない、なぜなら逆方向の電車に乗っているから、いいないいな、あの人はいいな、あの人々はいいな、志木駅に着いてしまう、慶應の高校の一味があるところ、埼玉県新座市、混んでる電車は乗りたくないウイルス怖い、のうのうとしてられない、田舎に住みたいと思う、田舎に帰りたいと思う、自分には田舎はない、ここで咳を撒き散らかせばみんな降りるかと思う、大学を辞めたいと思う、これ以上大学にいても仕方ない芽が出ない、院進したって仕方ない、スイングしなけりゃ意味がない、意味がなければスイングはない村上春樹、学生結婚羨ましい、人生を諦めた頃に僕は結婚すると思う希望とかじゃなくかといって絶望でもない、それらの概念がなくなる時すなわち田舎に帰りたい、人間いたるところ青山あり、僕にとって田舎は帰るところではない行くところ、卒業して定職につかずブラブラしたい、そうは両親が許さない、ヘイトスピーチ許さない、就活サイトで本社が少なそうな都道府県を選りすぐって見ていく、すべてを諦めてみたい、僕は諦めることすら諦めたのかもしれない、ニヒリズム未満のメランコリー、どこにも行けないからどこにも行きたくない、帰ったら存在と時間を読み進めなければいけない何の義務もないのに、義務の何らもないのに存在と時間の続きを読まなければならないしんどい、卒論の相談文をTAに送らないといけないこれは義務だから仕方がないがしんどい、早く卒業して地方都市でひっそり本を読み文を書き座禅を組んでいたい、ザゼンボーイズビーチボーイズ、娘ができたら溺愛しちゃうな絶対可愛いし、可愛い娘がほしいから可愛い人と結婚したい、上福岡駅、巨人のピッチャーだった條辺がやってるうどん屋がある上福岡、長嶋茂雄が揮毫した暖簾を提げるうどん屋その名も條辺一度は行きたい、京橋はええとこだっせグランシャトーがおまっせ、決定的に何かが間違っているってフレーズがよく浮かぶのだがこれはいかにも最果タヒっぽい、僕はイカ東、針間貴己はいまどうしてる、佐村河内守はいまどうしてる、僕に娘ができたらお小遣いをあげたいって言ってくれる女の先輩がいる、その人と付き合ってみたい、みたいな、まもなく川越市、まもなくカワゴエシって電子案内に表示されてビビった、ソクラテスに会いたい、僕の貴重な友達、僕の小学時代の友達が家に連れてきた友達、2浪して関関同立、LINEの登録名がソクラテス、僕の部屋を褒めてくれたソクラテス、チェスターコートとDQNパンツって組み合わせが粋だと思う気持ちいい、千葉雅也、早くこいこいお正月には僕にはない田舎に帰る、帰ったら存在と時間を読まなければならないのが苦痛なので僕は田舎に帰りたい、家族に乾杯したい、君の瞳に完敗ア、もう目薬は要らなくなっていた、涙で潤っていたから。

エピソード3

 

 今日は昼過ぎに起きて、家にいっさいの食材はないため空腹に耐えながら本を読んでいた。東京からパリ、パリからロサンゼルス、ロサンゼルスからウラジオストクといった具合に、あちこち経線を飛び移るような生活リズム。リズムっていうとなんか可愛い。風呂にいつ入ったかも思い出せず、髪の油分が気になってきたら暇つぶしに入浴するスタイル。

 登場人物たちがあたりまえに街に繰り出し、ハプニングが発生している情景を活字から想像していると、なんだかすごく違和感があった。普通に外出し、縦横無尽に街を歩き回るというそれだけのことが、ものすごい偉業のように思えた。

 空腹時にやたらとトイレに行きたくなるのはなぜだろう。わずかに体内に残存している栄養分を必死に搾り取っている証なのだろうか。それとも単なる頻尿傾向の現れだろうか。ここ一年くらい、自分は頻尿なのかもしれない、という疑念に憑りつかれている。この年齢にして、という羞恥心と危機感。実際、一日に何回トイレに行くのか記録を付けようとしたこともあるのだが、寝言を録音しようと思って一度も実行できたことがないのとよく似て、できたためしがない。検索によれば8回以上で頻尿ゾーンに入れるのだが、難なく超えているような気もする。

 

 ようやく食糧を求めて外に出ることにする。ついでに体を動かそうと思い、ほとんど穿くことのないスウェットパンツを探していると、大学に入ってはじめての恋人のパジャマが出てきた。大学に入ってとわざわざ書いたが、要するに生涯ではじめてであるし、初体験の相手でもある。別れた直後は相手に返そうと思っていて、向こうも連絡をよこしてきたのだが、いちど別れた相手に会う際のノウハウを知らなかったのでずっと放置していた。

 街の様子は正直、人々が外出を控えているようには思えない。感覚が麻痺しているだけなのかもしれないが、人通りが大きく減った気はしない。今月オープンしたてのハンバーガーチェーンに入ると、物珍しいものでもないのに怖いぐらい盛況している。同棲中だろうカップルが生活感を漂わせ、お年寄りたちが慎ましやかな会食をしている。僕もそこで食事を済ませる。さすがに友人同士の群れは目にしないが、そのぶん仲睦まじい男女が目立って気に障る。住まいもウイルスも運命も共にする彼らは、毎日何をして過ごしているのだろう。

 

 近くの公園に行くと、こどもらが元気に球技に興じていたため、もうひとつの鄙びたおもむきの小さな公園の方へ逃れた。老人がちゃんとマスクを付けて、石製のベンチに座っているだけだった。僕は鉄球を専用のケースから取り出し、久々の投球を始めた。

 毎度のことながら、通りかかる人の耳目を集めてしまう。的中した鉄球が弾ける音はかなり響くし、鉄球を投げるという行為じたいがすごく野蛮に見えるからしかたはない。人のよさそうな──これはトートロジーかもしれないが──おばあちゃんがマスク越しに僕に話しかけてきて、「これは何ていうスポーツ?」と訊かれた。

「ペタンクっていいます」

「ああ、これがペタンクね……。ボッチャ……? 似たようなのもあるからわからなくて」

「ボッチャは障害者向けのやつですね。ボールももっと軟らかくて、室内でできる」

「一回やってみようかなと思ったことがあるの」

「今度会ったらセッションしましょう、たまにここ来てるんで」

 僕は大学でこのマイナースポーツのサークルに所属している。サークルというのもおこがましいレベルの同好会で、僕らは自虐的に社会不適合者の〈自助グループ〉と呼んでいるが。構成員もほぼ男で、唯一の女の子はメンヘラ気質のため、構成員の一人の男と付き合って別れてを繰り返しているので、女子の数は0と1の間を揺れ動いている。この健全なのか不健全なのかよくわからないサークルにずっと属しているが、男子校で磨いた〈キモさ〉をいかんなく発揮できる場所として貴重なのは確かだ。

 

 鉄球はなかなか的球に当たらない。誰も見ていないのに首を捻ったりしてみせるのは自意識過剰という感じがして面白かろうと思ったうえで、投球ごとにわざと「おかしいな」とちょっと首を傾ける。というより、つい反射的にしてしまう動きに正当性を付与すべく、手の込んだ解釈をする。持ち球は3球しかなく1球を的にするため、すぐに球拾いに行かないといけない。球を拾おうとして屈むと、貧相な面持ちになった桜の花びらが球にくっついていた。そのあとマグネットの欠片がくっつき、投げ捨てても気づけばまた同じものがしぶとく球と同居したがっていた。気持ちが悪かった。

 久しぶりに運動すると爽快な気分になり、一時間半の外出でこれならコスパがいいなと思った。ほどよい疲れから帰宅すると寝落ちしてしまい、目覚めるとふと、恋人のパジャマを着てしまおうかと思いついた。さすがにキモが過ぎるかとも思ったが、自分はキモさにかけてもそれほど自信がないので、これくらい普通だろうと思い直して袖を通した。全身がガーリーなピンク色に変貌すると、昂奮が静かに歩み寄ってきた。

 洗濯してあるゆえ彼女の痕跡を嗅覚で認知できなくても、かつて女性が着ていたものであるという認識はあるため、それを着ていることに昂奮するだろうとは予想していたのが、沸きたっていたのはまったく違うタイプのものだった。おそらく鏡に映った自分に高ぶっていたのだ。え……可愛い……。言葉にはならなかったが、雄の自分が、雌の自分に欲情していた。あの瞬間、僕の体躯には主体と客体が共存していた。ただ女性ものを纏ったというだけなのに、自分が女の子みたいになれることにも底知れない快感を覚えた。無理矢理たとえるならそう、須羽ミツ夫がパーマンセットをはじめて装着したときも、こんな激しい情動が引き起こされたのだろうか。これは思いがけない革命的な発見かもしれない。 

 

 

 

 

 

 

エピソード2

 

 今日も目が覚めると、ちょうど日付が変わった頃だった。予定が皆無の生活においては、日と日の境界はまったく曖昧になる。ずっと滑らかに時が進んでいく感覚。寝て起きても、日が変わったという気はしない。もはや日という概念はなくて、昨日とか今日とか明日とか、すべて溶けてしまう。しかし便宜上の春休みの終わり、つまり封鎖された教室の代替措置であるオンライン授業の開始は、日一日と近づいていく。それがちょっとだけ憂鬱。

 四六時中明るい世の中になって、わざわざ太陽に依拠した枠組みにこだわる必要なんてないのに、もっと自由になれるはずなのにと元々思っていたから、この日常をひたすら非日常的につぶしていく感じは、けっこう楽しい。気ままというのとはちょっと違って、ただ漠然と楽しいのだ。

 成人に標準的な時間の睡眠をきっちりとったうえで真夜中に起きるという体験は、自堕落を極めているだけなのに、社会に抗うレジスタンスの気分にさせる。電気はつけずに昨日食べ損なったハムを冷蔵庫から取り出し、小学校を舞台にした学園ドラマの続きを見る。ちょうど僕が小学生の時に放送されていたもので、たまたま思い出して懐かしくなり、やすやすと見始めてしまったのだ。部屋に閉じこもるしか選択肢がない状況だからこそ、意味のない行動に至れるのだと思う。

 このドラマはやっぱり面白い。当時は気づくわけなかった社会や政権への批判が、露骨にセリフに表れている。ストーリーは本当に輪郭しか覚えていなかったが、一話だけ異常に記憶に張り付いていた。たぶんその回から見始めたのだったと思う。主人公の女の子はクラスメイトから総スカンを喰らい、陰湿ないじめを受けていた。それを見て、僕は「いじめ」というものの存在を知ったのだと思う。以後も僕にとっていじめは虚構のものであり、平穏な学校生活を送ったのだが、一人だけ妙に心に引っかかっている女の子がいた。

 

 小学校三年生の時、父親の転勤で生まれ故郷の大阪へ戻ってきて、最初に声をかけてくれたのがその子だった。二学期の途中という半端な時期に転校してきた僕を、みんなは優しく迎え入れてくれた。先生が男子のことも「さん」付けで呼ぶ風習や、でんつきという馴染みのない言葉には少しだけ戸惑ったが、毎日放課後に遊ぶ友達もすぐにできた。

 その子──仮にN子と呼ぼうか──は転校初日、終わりの会が終わって教室を出るタイミングで、「一緒に帰ろう」と要件を単刀直入に伝えてくるスタイルで肩を叩いてきた。断る理由というか発想もないので、互いの家の方向も知らないままに並んで歩き出す。

「漢字テスト、すごいね」

 何の変哲もない10月のある日に、自分以外にとってはいつもの風景でしかない漢字テストの結果に関して、彼女は賛辞を述べた。実はクラスの全員が僕の点数を知っていた。「○○さんは百点です! すごいわねえ」といきなり先生が発表したからだ。

「そんなことないけど」

「そんなことあるよ」

「そうかなあ」

「そうだよ」

 その頃から女の子の顔というものをどれだけ理解していたかわからないが、もしN子を可愛いと認識していたら、もっと饒舌になっていたのだろうか。徒歩3分とない距離の僕の家にはあっという間に着いた。彼女は僕に手を振ったあと、学校からの道を引き返していった。

 

 N子がクラスで浮いた存在だということはすぐにわかった。浮いたというより、正確には「沈んでいる」のだったが。N子はまぎれもない劣等生だった。黒板の端っこには宿題未提出者として常に名前があったし、テストも最低の出来だった(僕には人の点数を盗み見る癖があった)。体育もできないし、給食を食べるのも遅い。ほとんど誰とも話さない。だからなのか、彼女は僕に一縷の望みを託して話しかけてきたのだ、と血も涙もないことを今なら考える。

 N子に対していじめはなかったが、孤独をめぐるいじめの線引きは難しい。僕は仲の良い女の子たちと彼女の陰口を叩いていた。なんら妬み嫉みも抱かない相手の悪口など言う必要もないのだが、彼女はおもしろエピソードを僕らに提供してくれるのだ。

 一番面白かったのは──今思えばまるでたいしたことじゃないけど──腐ってカチコチになった大量のコッペパンが、N子の手提げかばんから発掘されたことだ。彼女はいつも隠れて給食を残していた。半分までは頑張ったもの、丸々放り込んでいるもの。自分ならどれだけ給食が辛かろうと、パンの祟りが怖くて絶対しないと思った。

 

 ある時、放課後に児童センターに遊びに行こうとして、N子がきれいなマンションの前で中学生としゃべっているのを見かけた。学校では目にしたこともない楽しそうな表情だった。彼女は学校外の人間に活路を見出しているのだろうが、中学生が彼女とつるむ利点がまるでわからなかった。その時かぎりのことだったのかもしれないが、妙に鮮烈な印象を与えた。

 

 僕が私立の中学に進んだあとは、とうぜん何の接点もなくなったけど、浪人生活の暇つぶしにフェイスブックを始めてN子と再会した。腫れぼったい一重瞼はその何倍もの大きさのぱっちり二重になっていて、加工済みの写真にはまったく面影がない。おまけに名字も変わっていて、僕はよく下の名前と出身校だけで判別がついたと思う。彼女は母親になっていた。

 N子を馬鹿にしているという自覚なしに馬鹿にしていたことなど忘れて、驚きのあまり勢いだけでメッセージを送った。

「久しぶり! 小学校同じだったN子やんな?」

「うん! 久しぶりだね~!!」

 僕が彼女のことを普通に覚えているのと同じく、彼女も僕のことを普通に覚えていた。「今何してるん?」「専業主婦やってる!」「結婚どころか子どもいるんやな~。びっくりした」「そうやで! 大変やけど幸せ!」といったプロフィールで知りうる情報を確認するだけのやり取りをしたあと、突如として僕は

「実は俺、童貞なんですよ笑」というカミングアウトをした。

「え!!? 嘘でしょ!??」

 男子校の人間にとっては結婚して子どももいるお前の方が百倍信じられないという感じだったが、N子の世界ではこの年でまだというのは衝撃案件だったらしい。

 文脈が総じて意味不明だろうに彼女は励ましの言葉をかけてくれたが、僕はそれからもしばらく童貞を守っていた。