語りえないもの、語りえるもの(彩冷える)

 

 出がけに開けっ放しにしていたカーテンを閉めて、ほんの少し落ち着きを取り戻した。やっぱり夜はカーテンを閉めていないとそわそわする。いけないことをしている、という感じがする。でも、昼はカーテンを閉めていたって多少の光は入ってくるのであって、夜はまったく真っ暗になってしまうのであるから、むしろ夜の方がカーテンを開ける必要性は高いんじゃないかとも思います。わたしはいつも部屋を真っ暗にして眠ります。それができていないから、からだの調子が最近は悪い。

 ごはんを食べて、おくすりを飲みました。味は特にしない。……水の味。これすなわち薬の味。水道水の味よ。拝啓 東京23区の水の味はどうですか? お父さんは最近、太陽のマテ茶に熱中しているそうです。若い頃を思い出すって、嬉しそうに話すのよ。 敬具 父は、ひそかにブームを先取りしていたことに誇りを持っているのかもしれません。ところで、女の子のうちに行くと、たいてい色んな種類の錠剤が置いてある、ということが世間一般にはあると思います。わたしは見てはいけないものを見てしまったような、そんな気がして、二三粒、クッピーラムネと交換しておく。さすがに気づくやろってことで、せめてものやさしさでまだ見分けやすい部類のラムネにするのです。

 今日はずっと音楽を、サウンドクラウドにある素人の音楽を、繰り返し何遍も再生していたので、もう音楽には飽きました。・今日発見したこと。音楽を聴きながら読書をする、ことに関して。勉強中に音楽を聴くべきか、聴いてよいのか、というためらいを経験したことは多くの方がおありなんじゃないかと、むしろ勉強しながら音楽を聴いているんじゃないかと、ぐらいの力量配分でどうしたものかと? 本を読みながら音楽を聴くのは、単にうるさいとか耳障りとか気が散るとかそういうのではなく時間の流れを規定されてしまうこと拘束されてしまうこと、たよたうように読むことができなくなってしまうこと、があなたの不幸の原因だと考えました。

 ・昨日発見したこと。ずっと起きていると、生きるのに飽きてくる。絶大な、甚大な、観念・オブ・ミュージック。これは暇、倦怠、退屈などとは性質を異にするものです。「ああ、生きるの、飽きてきたなあ」「蝉の季節が終わった」ときぐらいのしみじみさ加減で、心中を吐露するならば、こうなるということ。いま生きているということ。飽きるということ。飽きがきてはじめて、今まで生きてたんやということを実感するわけ。わたしながらよくある論法だわ、つまらんわぁと思います。

 

 わたしは無能だ。人から無能と言われたことがあるわけではない。もちろん有能と言われたこともない。あるのは「美少年」だけ。美少年の語ることだけがほんとうであるようにも思うけど、手越祐也は嫌い(スナワチ彼ハ美少年デハナイトイウコトデシヨウ)。高校一年生の時、高校から入学してきた新参者に廊下でのすれ違いざま、にたついた顔でひとこと「ビショウネン」と声を掛けられた。当時のわたしは童顔であることに結構なコンプレックスを感じていたので、あまりいい気分はしなかった。いまとなっては人生で誇れるエピソード三指には入ります。

 だからって無能が赦されるわけではないから、まったく世知辛いものです。

 

 

 ──わたしのお手製日記帳は、だいたいこんな感じで黒く染まっていきます。