投げやりでなく

投げやりでなく
                   

佐藤渚

   
 散らばったギンナンを踏みつけないよう、うつむきながら慎重に歩く。前方から歩く男女の声が、顔が見えない分、余計に耳に障る。何がそんなに面白いんだろう。あほらし。
 

 入学して一年半、ずっとつまんない。それまでの十八年間もつまんなかったけど、期待を裏切られた分だけ、大学生活の方が罪深い。何がつまんないかって、多分人だ。それも男。大学の八割を占める男。その八割がつまんないんだから、つまんなくないわけがない。
 地方公立出身。高校に骨のある人間はいなかった。だから勉強する時間だけは十分にあった。そして盲目的に、東大入れば人生変わる、なんて神話にすがって。そんなはずなかった。楽しく生きる才能がないのだろうか。いや、私は悪くない、と思う。
 当然、彼氏なんかいない。できたこともない。いや正確には、私が彼氏と正式認定した男は一人もいない。勝手に彼氏面してくるデリカシーのない奴はいっぱいいた。「別れる」って言葉の価値がデフレしまくったし、あげく軽い女って噂されて、心の底から呆れた。
 みんな、つまんない人たちでした。哲学や信念、中身がない。薄っぺらいのは体だけじゃないのね。どいつもこいつも似たような話ばっかり。成績自慢も忙しいアピールも聞き飽きた。必死に他の東大生と差別化図ろうとするのも滑稽だし、それを冷笑して自分はわかっている人間だぞ、とでも言いたげな態度もうんざり。わざわざこっちから深く知りたいと思うような人はいなかったから、全員見限ってやった。
 私の顔にしか興味がないってのも、ムカついた。さすがに直接そうは言われなくても、私の内面に興味を示してくれないからわかる。私のどこが好きなのか聞こうにも、焦って必死に誉め言葉のテンプレートをひねり出されたりするのが怖いから、我慢した。結局、みんな恋愛ごっこに興味があるだけなんだと思う。私は流行のミニマリスト。恋人に多くは望まない。ただ私をちゃんと見てくれて、私も興味を持てる人。出会ったことがないからイメージはできない。
 

 気づけば、イチョウの葉はすっかり散っていた。うちの大学には銀杏伝説なんてのがあって、一年前の私は意地になって抵抗した。渋々なだけで一応彼氏っぽい男は常時いるし、私に伝説は関係ない。いつか出会える、ふさわしき人。でも、もうそんな期待も粉々で、諦めの境地にすっかり両足で立っている。
 ギンナンの臭いはしぶとい。なぜ伐採しないのか。普段は異臭に散々文句を言っときながら映える写真を撮ってSNSに投稿するのとか、本当意味わかんない。美しいだけじゃないんだぞ。イチョウも私も。
 イチョウの実、つまりギンナンは、自分の身を守るためにあの臭いを放つらしい。私からすれば自己主張が激しくて羨ましく思える。私の内面はきっと腐ってて、捻くれてて、さらに恐れている。でも、私は骨のない男から身を守るため、人生初の勇気を出してこの文章を実名で公開してみようと思う。

 何か言ってきた奴には、ギンナンを投げつけてやればいい。

 

 

 

東大女子を主人公とする1,200字以内の小説という要件で、学内のフリーペーパーが募集していたコンテストに出した作品です。昨年2月に人生で初めて書いた小説で、拙さと自意識による羞恥、順当に落選したこと、誰も読んでくれない恐怖などからずっと公開するのを控えていましたが、創作というものはそれらに打ち勝たないといけないし、何より作品の出来不出来は一概に言えるものではなく受け手との相互作用であり、見てもらうことで新しく作品が"生まれる"のだから躊躇う必要はないのだと思うようにして、公開してみます。そのうち短歌の連作、エッセイなども恥を捨てて載せていきますね。首をキリンにしてお待ちください。