This life will be stopping at Tokyo

 三年前の春、私は新幹線に乗っていとも簡単に上京を果たした。上京というといかにも田舎者が東京へ出てきた感じがするから、単なる引っ越しといった方が差し支えないような気がするのだが、一応単身で乗り込んできたのだ。大学進学に合わせて一人暮らしを始めるのだった。かつて東京に住んでいた経験もあって都会育ちを自負していたが、初めてまともに見る渋谷のスクランブルと109の派手な看板は私をワクワクさせた。東京に来た、と思えた。その時は人が多すぎるなどとは思わなかった。立派な希望が自然に沸き起こってきた。

 新居の扉を開けたとき、「今日から俺の城だ」という一度言ってみたかった台詞を言ってみた。いったん扉を閉じ、再び開けた。もう私の城だった。まだ私の趣味に侵食される以前の、清潔な姿だった。万が一たまり場になると嫌なので、大学からは少し離れた位置にした。当初は友人を招き入れるのすら強い抵抗があった。なぜというと単純な話で、本棚を見られるのが嫌だった。もちろん本棚以外もあまり見せたくなかったが、本棚を晒すことは内面を曝け出すことに等しいので、できれば避けたかった。結果として密な人間関係は築かなかったため仮に学校の真横に住んでいてもたまり場になることはなかったし、本棚の中身をしげしげと眺める奴はそういなかった。

 そもそも東大を志望した理由は三つあって、一に日本で最難関の大学であること、二に進振りという制度があること、三に東京で一人暮らしをしたいということ……であった。いわゆる学校のお勉強ぐらいしか能がなかったから、せめて受験という分野においては上に行きたいと思うのは自然であった。進振りというのは入学時に学部や学科を決めなくていいというゆとり制度で、己の将来像について真剣に考えることを放棄した自分には都合がよかった。将来に何の展望もなかった私が唯一持っていた希望は、東京で一人暮らしを始めることで抑圧していた人間性を解放すること。ルネサンスの綴りがRenaissanceだということを無意味に覚えた。

 

 東京での暮らしは現に楽しい。渋谷や新宿は大したことなかったが、大学界隈の昔からの東京は気に入っている。私が行きたいイベントはほとんど東京で行われるし、面白い店や施設がたくさんある。日本人のいないコンビニや各駅にある日高屋にはすっかり慣れた。乗換案内に頼るあまり地下鉄の路線は全然覚えきれていない。深夜に徘徊することが人間性の解放とはさすがに言い難いが、好きな時間に家を飛び出せるのは自由で楽しい。もちろん朝は誰も起こしてくれないから単位を取りこぼす。

 一方で孤独は深まっていく。実家にいれば最低限の会話は発生するところを、一人暮らしでは全く言葉を発さない日もあり得る。それも結構頻繁に。だからついついネットに依存する。風呂でスマホを弄るのは行き過ぎた効率主義と孤独の深化という自覚を持つべきである。私の陰鬱な性質は何ら変わりないのに、ツイッターの世界は様変わりした。自分が他人から注目されているか否かが数字でわかり、日夜ツイート・コンテストが繰り広げられている。孤独を慰めるばかりか、かえって孤独を強く実感する世界になった。町へ出ても同じだ。世界で一番孤独なのは、なぜか人ごみの中にある。ライブやスポーツ観戦で大勢のファンが一体になる、あの感覚が私はすごく好きだが、縁もゆかりもない人の群れに足止めを食らうと、自分の存在意義を疑うようになる。数字以上のインパクトが東京にはある。

 陰鬱だから将来の展望が開けないのか、将来の展望が開けないから陰鬱なのか。展望が開けないのは己の怠惰、元来の無能に起因し、陰鬱あるいは厭世もとい厭"生"、も源流は同じだ、多分。だからせいぜい努力するしかないのだが、一度陰鬱の沼に嵌まると簡単に抜け出せないのは誰でもわかるでしょう? これほど何の力にもならない継続はない、と思う。メンタルを改善しようとしたとて、馬鹿の耳に自己啓発本である。ちなみに無秩序な読書によって高校生の頃に出会いたかった文章を知れるのは幽かな救いで、同時にかつての視野狭窄を少し恨む。

 

 東京に来てから三年が経った。私は二十二歳だ。遥か昔の人生設計ではこの春から社会人になっている。リアルの私は三年生として春を迎えることにした。すなわち留年することにした。もう一年、色々なことを考える時間がほしかった。三年間の実績を二年間でのものと見做すことで、大学生活の生産性を1.5倍にしたかった。陰鬱に溶かした時期を悔いた。取り戻すことをしたかった。思い出作りをしようと思った。

 人並みに就活をすれば人並みに内定を得られる自信はあったが、ドラフト指名が確実な有望選手が大学進学を選ぶような感覚で、私は就職志望届の提出を見送った。もう少し真っ当な人間になってから社会に貢献したいと思っている。いや、社会に貢献なんて殊勝な意思はよもやあるまい。自分に少しは納得できるようになっていたいというだけだ。神様、私に努力を教えてください。私が金の斧を落としたのは、陰鬱の泉だったのでしょうか。

 

P.S. 明日は故郷に帰っている入学当初の友人に、二年半ぶりに会う。