メランコリックムンク

 今日は上野の東京都美術館で開催中のムンク展へ行ってきた。実は前日もムンクを見るため上野へ向ったのだが、30分待ちという苛酷な状況を知って断念したのだった。代わりに訪ねた周辺の黒田美術館(残念ながら『湖畔』の展示期間ではなかった)、そして東京藝大内の美術館は全て無料で楽しめ、また素晴らしかった。特に美術教育研究室の人々が作品を持ち寄った「美術教育の森」は、絵画から彫刻から書から果ては絵本まで、非常に多様な作品を一堂に見えられ、表現における個性というものに改めて生命の価値を感じた。

 昼食は大学の食堂でとった。生協の運営によるものではなく本当に昔ながらの街の食堂という趣で、日替わり定食は480円と東京では破格だった。奇抜な髪色の学生が目立つかと思いきやそんなこともなく、我が大学の面々と外見上の大差はないようだ。東京藝大の入試倍率が桁違いという話は聞いたことがあるが、どんな内容なのかは知らない。指定の課題作品を提出し、一通りの技術を得ているかが問われるのだろうか。大学生活では皆が思い思いに作品制作に没頭するものと勝手に想像していたが、考えれば理論や歴史など美術のアカデミックな部分を軸に学ぶ学生もいるのだろう。ここではドロップアウトすらも、れっきとした一つの道なのかもしれない。

 僕はどんな分野でも創作家という存在に強く憧れており、生まれ変わったら芸大や美大でキャンパスライフを送ってみたいと思った。でも生まれ変わらなくても、例えば30代で仕事をやめて美大に入り直す、という選択も全く有り得ない訳ではないのだ。僕は人間には実はあまり違いがなく、どのような生き方を選び取るかだけでほとんどの事柄が決まっていくんじゃないかと考えることがある。誰しも表現したい何かぐらい、内に秘めているだろうし。
 

 それが前日で、今日はピークを避けて閉館の2時間程前に入れるようにしたのだが、まさか夜まで開いている日だとは思わなかった。僕の目論見は外れ人の入りが収まる気配はない。天気は良かったが外でじっとしていられるような季節ではないから、観念して40分待ちの列に並ぶことにした。さながら体育館での全校集会だった。別に待つのは退屈ではない。よくラーメン屋等の行列に並ぶ人の神経がわからないと殊更に主張する人がいるが、僕にはその人の神経がわからない。本でも読んでいればあっという間ではないか。生産性や効率の体系なんかで生活を閉じたくない。案の定、退屈する暇もなく展示室へと足を踏み入れることができた。

 ムンクといえばやはり『叫び』、というかその他の作品が一つも浮かばなかった。展示は9つの章に分かれ、初めは生涯を通じて描かれ続けた自画像、残りは概ね年代順に配置されていた。メランコリーと題された絵に棲む浜辺の青年の陰鬱な表情を、自らが専ら浮かべるそれと比べてみた。そっくりだと思った。

 

 階を上がりいよいよメインディッシュの叫びがある部屋。ここで、この絵にまつわるやや不可解な思い出を語りたい。小学校の図工で彫刻刀を使った作品作りをしたのだが、指定された彫る図版の一つに叫びがあったのだ。他の選択肢も全て名画であれば納得するが、確かどれも小学生に相応しい安穏とした風景のようなもので、叫びだけが異端だった。僕は迷わずそれを選んだ気がする。完成した代物は持ち前の不器用さとのシナジーで、この世の終わりを見事に表していた。発狂してムンクの絵を切り刻んだかのような出来栄えだった。何より教室に数多もの叫びが鎮座する光景が恐ろしかった。

 ちょっとした感慨に耽っていざ相対せん、と思ったが、その部屋だけは交通規制がなされていた。叫びを間近で見るための特設通路が設置されており、立ち止まってじっくり見たい人は通路の後ろから見るようになっていた。ほんの一瞬だけなのに、それでも叫びを最前列で見るという経験がしたいがために通路を並ぶたくさんの人々。一度部屋を出て引き返した僕も結局その列に加わった。何かアトラクションを待っているかのような高揚感、緊張感があった。

 折角の絵もそこそこに進まざるを得ない前方を見やると、何かの光景に似てるな、と直観した。そうだ、これはアイドルの握手会だ。そこではこちらに言葉を発する余裕はない程の速度で、すぐ"剥がし"に追いやられてしまう。今日の我々にとって、叫びのセンターを飾る謎の男は絶叫系アイドルだ。さすがに美術館に剥がしはいなかったが、一定のペースで立ち止まらずお進みください、というスタッフのアナウンスが止むことはなかった。よくも同じセリフを延々と発せるものだと感心した。自分の番も同じで、大地のセンリツ(旋律/戦慄)を想像する間合いもなくあっという間に叫びとの面会は終わった。

 通路を抜け後方に回ると、通路外の人々が一斉に身を乗り出しせめぎ合い、必死に叫びとの距離を縮めようとしていた。あくまで通路には入り込まないように。それを見て、これは握手会ではないな、と思った。言うなればそう、活躍したスポーツ選手が海外から帰国し、空港でファンや報道陣に出迎えられるシーンだ。ピースがハマった感じがした。なんとも静謐な美術館とは似つかないイメージだった。

 

 東京にいるとどうにも人間の価値が薄れてしまう気がする。だってこれだけ人がいて、さらに僕がいる必要などあるのだろうか。展示室を出た直後の僕は、少しメランコリーな気分になっていた。

 メランコリックムンクの絵の力のせいだと信じたい。