我の生涯の最鬱の年

来年は、何でもいいから何か出来るようになりたい。「経験」という甘ったるい言葉を突き抜けてくる何かを求めて邁進したい。

 

上の文章を見て既視感を抱いた方は、僕の後援会会長にでも就任なさるとよいかと思います。

こちら、昨年の12/30に投稿した最終記事の最終段落の引用でございます。めちゃくちゃ殊勝なことを言っているように見えますが、見せかけです。張子の虎です。

今年も別に、何か出来るようになったことはございません。プロ野球の成績でいえば、二軍で.243 3 28 OPS.653ぐらいの一年でした。伝える気がありませんね。

もっとも一年というスパンは壮大なものでして、振り返ろうとしたところで、大抵は直近の出来事に引っ張られてしまうわけです。そうでなくても、今年の漢字は「鬱」で満場一致だったわけですが。オールシーズンということです。

春は、鬱。夏は、鬱。秋は、鬱。冬は、鬱。もう清少納言が正しくは何と書いたのかさえ思い出せません。春は曙太郎、夏は住野よる、秋はユーグレナ、冬は該当者なし、みたいな感じだったでしょうか。

ともかく2年連続6度目(2011〜13,15,17〜18)の受賞となった鬱でございます。「無」や「滞」も毎年候補に挙がるのですが、やはり一字のインパクトで鬱の右に出るものはいないということになります。

というわけで(どういうわけでしょう)過去の華々しい受賞年を一挙振り返ることにしましょう。終わった頃には平成という時代が浮き彫りになっていることでしょう。

 

2011年。夏の大会で部活を引退しました。もっとも僕は出場していないので、何の思い入れも、思い残しもありませんでした。暇になったのでバンドを始めたかったのですが、うちの軽音楽部は予めバンドを結成していかないといけないシステムでした。それまで友達と音楽の話などしたことがありませんでしたから、当然入部しない運びとなりました。元いた部活がなくなったことで、友達と過ごす時間が必然的に減りました。そうして徐々に、鬱という言葉が身近になっていったのです。この年、15歳で初受賞。それまでの僕はただの中二病を患ったキモオタ少年でしたから、鬱に足る繊細な精神などは持ち合わせていなかったということです。

 

2012年。年が変わって急に友達ができるはずもないので、相変わらずの日々です。中学(中高一貫校でしたが形式上行われるのです)の卒業式では多くの生徒が式後に写真を撮ったり、カラオケに行ったりする中、一人で家に帰りました。家に帰って布団に倒れ込み、当時はまだ廃れていなかったmixiで非公開の日記を書きました。内容は想像に易いはずです。この年は4年ぶりに女の子と喋ったという点でのみ、進展がありました。希望はありませんでした。忘れていたけど、全く英語が話せないのにイギリスへ行きました。それだけは、人生で一二を争うほど楽しかったです。

 

2013年。前年の末からだった気もしますが、勢い止まらず、ときたまSNSにポエムを投稿するようになりました。そういう意味で、今の自分の原型が形作られた年だったといえるでしょう。阿部真央の『17歳の唄』を聴いて号泣していました。ここに来て、中学の初めから所属していた別の部活(文化部)に熱を上げるようになりました。他校の仲間や後輩とよく喋るようになりました。それでも放課後は、一人で梅田のタワレコや本屋、ゲーセンをうろついたり、アイドルのフリーライブに行ったりするという冴えない青春でした。仮に一人でなければ、やっていることは同じでも中身は違ったでしょう。夏真っ盛り、女の子と二人で甲子園を観に行きました。当時の服装を今でも思い出せそうです。

 

2014年。3年連続の受賞がストップしました。原因は受験です。受験といえば鬱に拍車をかけるイメージがあるかと思いますが、裏腹にやらなければならないことがあると生活は充実するようになります。共通の目標があると連帯も生まれます。この年は学校にも塾にも居場所のようなものがありました。友達と林修の授業を切って、はるばる神戸の奥地まででんぱ組.incのライブに行きました。翌年に入りますが、塾のメンバーと初詣にも行きました。

 

2015年。勉強はあまりしていなかったので、第一志望に滑りました。勉強に関してだけはポテンシャルがあると思い込んでいたので、初めての挫折といえそうです。二次試験から不合格発表まで、飛行機の魔の11分間ならぬ魔の11日間を過ごす羽目になりました。自室は精神病棟と化していました。予備校に入ってからは成績に問題はありませんでしたが、突如として襲いかかる浪人生特有のプレッシャーに、度々圧迫されていました。模試の憂さを晴らしに、京都のマグリット展に足を運んだのがよい思い出です。帰りにデカ盛り皿うどんで有名な店で昼食を摂りました。あることがきっかけで予備校の掲示板で不当に叩かれ、人の底を見た気がしました。

 

2016年。第一志望を譲りませんでした。万が一を考えて、合格発表はトイレで見ました。東京暮らしは初めてではありませんでしたが、一人暮らしは当然初めてです。この年、生きている実感をようやく得られました。Twitterをする時間が格段に減り(ポエムは相変わらずでしたが)、単位もまだ取得できていました。

 

2017年。大学も2年目を迎えると、もうどうでもよくなってきたりします。いや、普通の人はしないと思いますが。秋口からが顕著で、第一志望だった学科の授業がどうしようもなく、というより開講されていませんでした。そもそも、通学定期券を購入しませんでした。行っても意味がない、と思ってしまったのです。別のキャンパスの方で積み残した単位を回収するためにだけ、外出していました。ブログを始めました。似たテイストの記事が続くのは、この時期の精神状態の判りやすい鏡です。魔の11日間ばりに無為な時間が過ぎ去るのを堪えるばかりでした。

 

2018年。いよいよ今年です。少し長めに振り返りましょう。1月はピースボートに乗ろうと本気で考えました。作家になりたいと思って文学賞について調べもしました。ちなみに両者ともそれっきりです。レポートは一つたりとも提出せず、物の見事に全て落単しました。2,3月は旅行の期間だけ異常に生気がみなぎり、その他の期間は無聊を慰めていました。たまに思い出したように展覧会に行きました。4月は初心に帰って学問を究めようと思い、教育学の本などに手を出しました。この後も読書習慣は続いたので、一定の成果はありました。7月に夏学期が終わるまで、授業には相変わらず出席できませんでしたが、特定の授業では賞賛されました。8,9月は未踏の都道府県を踏破することを目標に、2回の一人旅を敢行しました。10月からは進路について思い悩み始めました。これまでの人生は既定路線を歩んできたため、どうすればよいのか全くわかりません。たちまち鬱の渦に呑まれます。3ヶ月連続で鬱選手が月間MVPを受賞します。これまでの組織に縛られない生き方は、所属感の無さが鬱を誘発することもありますが、総じて気ままで楽といえば楽なのです。僕は「楽しい」より「楽」を好むタイプのようです。あるいは楽しいことなら一人で作り出すのが比較的得意です。就活は一切していません。自分がこの先どうなるか皆目見当つきませんが、生きている限りはいずれのタイミングにおいても生活が存在するわけで、だったらその都度それで納得するしかないのかもしれません。

 

ちなみに今は何をしているかというと、紀勢本線に乗ってまさに三重と和歌山の県境を通過しました。スーパーの袋を抱えた人が目立つのは、この地域の買い物事情を露わにしているのでしょうか。業務用スーパーで爆買いし終えた国籍不詳の4人組は、このためだけに往復二時間以上も電車に揺られたのでしょうか。確かに生活が存在しています。車窓からの景色はすっかり暗くなりました。一日が終わりを迎え、今年も静かに幕を閉じようとしています。