東大入っても品性は養われなかったイキリオタクの懺悔

捉えどころのない生の苦しみの中を、ユーモアと哲学で颯爽と駆け抜けていきたい。一介の冴えない大学生。

今日、僕は

 

 東大生が逮捕された。ワイドショーでは事件の概要より顔のコンプレックスの話に時間が割かれていた。東大入っても品性は養われなかったイキリオタクのくせに、普段から懺悔しておかないからこうなるんだ。

 けどまあ、人が死んだわけじゃない。死を絶対視するのもどうかと思うが、今回の件は騒ぎ立てるほどのことではない。みんなも、他人の権利を侵害しない領域で、好きなように生きればいいと思う。

 

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 明日はコンタクトレンズの交換日です

 

というスマホの通知があった。昨日のことである。つまり、今日はコンタクトレンズの交換日である。

 コンタクトレンズにはソフトとハードがあって、ハードは年単位で使うことができる。ソフトは1day(いわゆる使い捨て)、2weeks、1monthとあって、僕は2weeksを使用している。1つのレンズにつき使えるのは2週間までということだ。それ以上使い続けると最悪失明に至る危険もあるらしい。

 当然、ハードであれば同じものを使い続けられるので、単価は高いがトータルで見れば断然お得だ。とはいえ砂埃が入るととんでもない痛みが発生し、万が一落とした場合の損失は莫大で、悲惨だ。

 漫画『ドラえもん』で、コンタクトを落とした通行人に情けをかけコンタクト探しを手伝ってやるのび太が、あろうことか踏んづけて割ってしまう場面は、ドジを踏むシチュエーションとしては鉄板だが、あまり笑える話ではない。特に、どちらかというとお金がない大学生にとっては。

 

 ドジで、マヌケで、ウスラバカで……とのび太を形容する言葉は、そっくりそのまま我が身にもふりかかる。

 眼鏡をかけた小学生の男の子というのは、往々にしてあだ名がのび太ハリー・ポッターの二択を迫られるわけだが、僕は前者であった。いや、話を盛るのはやめておこう。一度か二度、のび太みたいと言われたことがあるだけで、キャラを確立するほどではなかった。敏感な教師であればいじめと疑う可能性もあるだろうし。

 ちなみにハリーは、ちゃんといた。中島という奴だった。サザエさんから出てきたような純朴少年というより、目鼻立ちの整った外国風のイケメンだったから、まあ納得である。

 

 少なくとも漫画を読んでいるときの自分は、のび太に没入していた。ただテストで100点を取ることができるだけののび太。あやとりも射的も、ピーナッツの投げ食いも0.93秒で入眠することもできないのび太だった。

 それはもうのび太ではないのではないか、という声もあろうが、幼少期にドラえもんを読んで育った子は、必ず自らの中に「のび太性」を見出してしまう。怠惰で人を羨んでばかり、けれど心根は優しいというのは、実は誰だってそうなのだ。

 

 そして、程度の差こそあれ、人はみなマヌケだ、というよりマヌケであってほしい。一見ハイスペで完璧な人間の意外な側面を形容する「天然」なんてレベルでなく。努力で直せないのが厄介なのだから。

 マヌケなのは恥ずかしい。僕は人生の大事な局面であればあるほど、マヌケさを露呈してきた。母親からも散々指摘されてきた。もっとも、関西の人間にとってはバーモントカレーばりにマイルドな罵倒であるアホという二文字をもって。

 

 失敗を重ね、歳を重ね、自分との付き合い方がなんとなくわかっていくことを成長というけれど(冒頭の東大生は果たして)、「コンタクトレンズの交換日」を通知してもらうようになったのは、成長に含んでいいのだろうか。

 僕は二度、いや三度だったか、ハード・コンタクトを紛失したことがある。大学進学とともにソフトからハードに切り替えたのだが、一度目はあっという間になくした。コンタクトレンズというものは、左目と右目、二枚あってようやく成り立つ。まだ一機残ってるからセーフ、とはいかないのだ。

 二度目もすぐやってきた。ハードは外すのが難しい。目尻を横に引っ張って、上下の瞼に挟み込んで落ちてくるのを受け止めるのだが、まれにあらぬ方向へ飛んでいくことがある。

 一度目も二度目も、同じ失態を犯した。一般に人は物をなくしたとき、「その物がこの世界から消滅することはあり得ないわけで、絶対どこかにはあるはずだから見つかるまで探し続ける」という方針をとるのだが、どうしても見つからないことがなぜかある。

 世界どころか、目の前の洗面台周辺にあるはずなのに、見つからない。あらゆる平面を確認しつくしたはずなのに、見つからない。要は洗面台の穴からストンと落ちてしまったのだろうが、そんな単純明快な出来事にかき乱されるなんて、かえって腹立たしい。

 最終的に二度諦め、二度再購入し、俺はこのままだと永遠になくすということに気付いた。そこで、100均で小さな鏡を買い、洗面所でなくリビングにて、机に向かって外すことにしたのである。こうすれば、穴から落ちてしまうことはない。飛んでいっても必ず見つけられる。もうお前を離さない。はずだったのだが。

 

 あろうことか三度目もやってきた。未だに釈然としないのだが、起きてしまったことは取り消せない。

 拠点をリビングに移した後は、豪快にレンズを飛ばしてしまっても、取り乱さずに対処することができた。次第に余裕が生まれ、その距離を競うようにもなっていた。 ある時もレンズを落としてしまったが、カーペットを隅々まで探せば必ず見つかる確信があるため、落ち着き払って捜索を開始した。

 1分経っても2分経っても見つからない。人命救助でないから一刻を争う必要などないのだが、すぐにカーペット全体に目を通せるのであって、すぐに見つからないということはいつまで経っても見つからないということを意味する。

 またも、コンタクトレンズを紛失した。二度あることは三度ある。サンドバッグにされた気分だった。なんてマヌケなのだろう。

 

 その後、悩んだ末にソフト・コンタクトに戻した。妥協して2weeksにした。なくしてもダメージは少ないし、何より簡単に外せるためなくすことはなくなったが、新たな問題が浮上してきた。

 レンズの交換日問題である。いつ自分は新しいレンズを使い始め、今日が何日目であるのか。あと何日で今付けているものを捨て、新たなものに切り替えればよいのか。算数の問題にするには条件が足りない。

 それぐらい覚えていられると思っていたのだが、毎度毎度怪しくなった。注意書きには「絶対に二週間を超えて使用しないでください」と書かれている。そんなにまずいのか? 世の中に絶対なんてないだろう! と思うが、心配性なのでその文言を信じてしまう。

 それだけ心配ならば早めに使い捨てればいいのだが、コストパフォーマンスという面で勿体ない。チキンレースが始まるわけだが、少しオーバーしたかなと感じたときでも、自分のような人間のために二週間を数日超えても眼に害はないよう、元から2weeks+α用ぐらいに作られているんだろう、と思って気にしないことにした。車のメーターが事故防止のため実際より速く表示されるのと同じように。

 

 でも、時代はどんどん便利になっていくらしい。やはり世の中の人々は、みなマヌケであるようなのだ。

 アイシティの公式アプリに、レンズ交換日タイマーという機能が追加されていることに気付いてしまった。あまりにおせっかいが過ぎると思うのだが、便利なものは便利だ。こんなニッチに思われる需要が、まさか実を結ぶとは。恐ろしいぐらいだった。

 僕は僕との付き合い方を学んで、ハード・コンタクトを諦め、自分で交換日を管理することを諦めた。他者に頼ることを覚えた。

 

 

 今日はコンタクトレンズの交換日です

 

 空を見上げると、ついこないだ半分だった月は立派な満月になっていて、タンスには履くパンツがなくなっていた。そのうちエントリーシートの締め切りが来て、卒論の提出日が迫り、惜しむ間もなく卒業していくのだろう。それまでに何度かコンタクトレンズを追加し、何度か失恋もするだろう。そしていつか、明日を思い描くこともなくなるのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 明日はのび太さんとの結婚式です

 

 しずかちゃんはのび太との結婚前夜、お父さんに胸の内を打ち明ける。

 あたし、のび太さんと結婚するのやめる! だって、あたしがいなくなったら、パパさみしがるでしょ。

 とんでもない。君はたくさんの贈りものを残していってくれたんだよ。のび太くんを選んだ君の判断は、正しかったと思うよ。

 パパに諭されたしずかちゃんはのび太と結婚し、ノビスケという子どもを授かる。明日はのび太さんとの結婚式だったから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日、僕はコンタクトレンズを交換する。

 今日はコンタクトレンズの交換日なのだから。

 

 

P.S. 偶然にも今日10/25は、のび太としずかちゃんの結婚記念日でした。