To drink, or not to drink.

 

この10月から、NHK連続テレビ小説で『まんぷく』が放送されている。自分は連続テレビ小説、いわゆる朝ドラを通して見た記憶がなく、あれだけ流行った『あまちゃん』すらも『暦の上ではディセンバー』のイメージしかない。小学生では楽しみ方がイマイチわからないし、中高の頃は8時には家を出なければいけなかった。大学に入ってはもちろん、一定の規則で生活するということがどうあがいても不可能になったし、そもそもテレビは野球とスポーツニュース以外見ない。母親が再放送を熱心に見ていたことだけが思い出される。

 

それで、今やってる『まんぷく』の話だが、主人公のモデルは日清食品を創業し、インスタントラーメンの生みの親として知られる安藤百福である。とりわけ、チキンラーメンカップヌードルの開発が功績だろう。チキンラーメンに関しては賛否両論分かれるところもあるが、僕はわりかし好きな方だ。カップヌードルは、万国共通で人気だと思う。実は日本版のカップヌードルは日本でしか売られておらず、海外では現地の食文化にマッチした、独自のカップヌードルが誕生してきた。全部で10種類以上あるという。高校でイギリス研修に行ったとき、先輩からお土産にもっていくことをやたらと推奨され、皆が皆一様のそれを持参してきたのは、日本人の無個性を象徴しているようで滑稽だった。

 

カップヌードルが美味いことに異論はないと思う。時折無性に食べたくなる、マックのポテトと同じ中毒性。深夜に啜る味は格別で、テスト期間に無為に徹夜するのはこれとモンスターエナジーのためといっても過言ではない。

 

一つ苦言を呈すとすれば、「謎肉祭」と銘打ったキャンペーンである。あの見るからに身体に悪そうな、毒々しいドッグフード色の立方体の名称がネット上で「謎肉」として定着するまではよかった。しかし、日清側が「謎肉」というネーミングを押し出すようになってからはいけない。第一、謎肉の正体は「豚肉と大豆、野菜由来の成分を混ぜ合わせてフリーズドライした」ものと公表されているのであって、なんら謎ではない。日清側は製法を知っているという真っ当すぎる指摘を除いても、販売促進という明確な意図をもって謎という言葉を冠すのは、ちゃちな自作自演に過ぎない。

 

そんないちゃもんは馬の耳に念仏。特に一人暮らし民からの需要は絶大で、自分なんかはとうとう通販で箱買いしてしまった。20個入りだったのだが、ものの一カ月でなくなった。こうなってくると、心配なのは健康面だ。とりわけ深刻なのが、残り汁をどう処理するか、である。

 

生みの親の安藤百福自身は、当時あった健康面を不安視する声を払拭すべく、365日欠かさず昼食にチキンラーメンを摂っていたそうだが、汁まで飲み干していたのかはわからない。実際96歳まで生きたというのはすごいが、カップヌードルの方が塩分は明らかに濃さそうだ。知らぬが仏、数値を調べたことはない。

 

飲み干すか、飲み干さないか。それが問題に違いないが、答えは明快で、後者に決まっている。しかしあの香りの誘惑にはいかんとも抗いがたいものがある。ならば、物理的に飲めなくしてしまえばいい。麺をあらかた食べ終えたら、消しかすを放り込むのだ。これはtwitterで知ったライフハックで、なるほどこれでは飲もうにも飲めない。しかし、いつでも都合よく消しかすがあるわけではないし、放り込むのには強大な意思を要する。それは汁を前にして逡巡している最中、自身の将来を考えて飲むのを断念するのと同じ大きさの意思である。根本的な解決には全く至っていない。

 

かく言う僕はどうしているかというとこれも明快で、きっちり飲み干す。リスクは顧みない。人生はハイリスク・ハイリターンだ。でも、最近はちょっとだけ警戒している。ローリスク・ハイリターンなどというものは存在しない。選ぶのは、ローリスク・ローリターンとハイリスク・ハイリターンの中庸に決まっている。半分だけ飲んで半分残すのかと思われるだろうが、そんな中途半端なことはしたくないし、一度飲みだすともう止められないのが常である。僕は、自分でも賢いと思う。初めに注ぎ込むお湯の量を目印より少なくするのだ。こうすれば汁はほとんど残らず、一切の躊躇を挟まず飲み干すことができる。これぞ男子の本懐である。完飲。

 

カップヌードルの残り汁といえば、思い出したことがある。初めての面接試験のことだ。中学受験で無事志望校に合格した後、入学する可能性はもはやゼロに等しいが、出願していた義理で何校かを受験してまわった。そのうちの一つで、面接があった。京都の高校で、塾ぐるみで前泊して受験に臨んだため、異様にハイテンションだった。テンションのあまり、一時間目の試験前に自分の席の引き出しを壊してしまい、しまえなくなったため胸が圧迫され続ける羽目になりかけた。

 

そんな具合に緊張はしていなかったが、筆記試験が終わり、いざ面接という段になると体が硬直し始め、5人ぐらいのグループで入室した時には最高潮だったに違いない。面接官は3人で、そりゃ相手は小学生なので圧迫なんかとは程遠く、優しい質問と柔らかい応答で進んでいったから、安心した。最近読んだ本を聞かれてパラパラ捲っただけの本の名を挙げ、感想を求められると(小学生並みの感想)しかいうことができなかったが、小学生なのだからもっともである。

 

最後の質問が難関だった。「環境保全のために日頃からしていることは何ですか?」という問いだった。「ありますか?」ではなく「何ですか?」と、そういうことをしている前提で問われた以上、なんでもいいからでっちあげなければならなかった。他の受験生が何を答えたか記憶してないし、一律に同じ質問がされたかもわからないが、ほかならぬ僕がオリジナルな答えを発しなければならなかった。受験をしていて最大の窮地だったことは間違いない。

 

カップヌードルの残り汁を植物にあげています。」

こう答えた。敬語の訂正問題で散々やった「植物に水を×あげる〇やる」を思い出し死にそうになったが、どう考えても焦点はそこではない。なんらかの紙媒体から得た知識だったはずだが、実際にやったことなどありゃしないのはともかく、知識に対する疑念が半端ではなかった。カップヌードルの残り汁が、植物にとっての栄養になるだと? 化学のことなど何もわからなかったが、人間が飲まないからといって恩着せがましく押し付けるのは、違うと直感した。当時の僕はどうにも焦点がズレがちだったようだ。

 

知らぬが仏。ことの真相は未だ解明されていない。結果は受かっていた。端から面接の合否への影響はないのだろうが、妙な自信を得ることになった。

カップ麺の残り汁の処理に困っている人は、一度試して、植物の生育の経過を見守ってみるといいと思う。もっとも、一番いいのはカップ麺を食べないことなのだが。健康にとっても、環境にとっても。