深夜徘徊
今夜も街を歩いている。
ここ最近、四日に一度ぐらいの頻度で深夜徘徊をしている。
今はどこかわからない公園のブランコに腰掛け、これを書いている。蝉の声が聞こえる。
深夜に出歩く背徳感というものも初めのうちはあっただろうが、今では純粋に夜の街を眺めることを楽しんでいるように思う。
衝動的に部屋を飛び出したくなる。
夏という季節がその最たる要因であることはわかる。日中出歩けない運動不足を解消したいと身体が主張するのが聞こえるし、何より夏の夜風は爽やかで、最高に心地いい。
昼間がいくら暑くなろうが、深夜はかろうじて裏切らないでくれている。
目に入るのは家、家、家。
しかし駅周辺に活動範囲が限定されている自分にとっては存外、退屈な風景でない。
家の近くを歩く機会は意外と少なく、全てが新鮮である。ホテル街があったり、線路沿いにはボロ屋が並んだり、政治色の濃いポスター、楽器教室の看板を掲げる民家、コインランドリー、新聞配達の留学生、介護施設などなど、人々の生活や社会問題の気配を感じさせる。
寂寥感という言葉がよく似合う。昼間歩けば何でもない一角だろうが、漆黒と心許ない街灯がそれを漂わせる。
途中、イヤホンが完全に断線した。ストックがあるので凹みはしなかったが、普段自分を包んでいる音楽が消えるとこれほど人は孤独かと強く実感した。
人通りがないのをいいことに、スマホのスピーカーから直に音楽を流す。(根がDQNなのが露見してしまった。)
結果、地方のシャッター街にかかる哀愁たっぷりの謎の音楽を思わせ、かえって寂しさは増した。
帰りに等距離を歩く手間など一顧だにせず、ただ気の向くままに歩く。
これの何に意味があるのかと思うが、半ば生の無意味さを肯定したいがためにそうするのだ。
いつか、どこかへ辿り着きたい。
そんな思いと裏腹、いやむしろこんな漠然とした気持ちにさせる、希望を思い描けない将来。
けど、辿り着けなくてもいい。
あてもないハイク。
逆説的に不安を払拭させたいがゆえ、解の無い歩みに魅了されるのかもしれない。
半ズボンから露出した足に群がってくる虫が鬱陶しい。ブランコの軋む音、時折響く車の通る音が不安を抱かせ、帰りを決意する。
長い時間が経っていた。
犬を引き連れ散歩する女性と、おはようございますと挨拶を交わした。どうやら世間では一日が始まるらしい。
数時間後には期末試験だ。
P.S. 僕はいつでも深夜徘徊メイツを募集しています。さよなら。