東大入っても品性は養われなかったイキリオタクの懺悔

捉えどころのない生の苦しみの中を、ユーモアと哲学で颯爽と駆け抜けていきたい。一介の冴えない大学生。

感情、環状、行ったり来たり

 

生きてて、理屈っぽく考えれば考えるほど、やらなきゃならないことは一つもないし、やりたいことというものも欺瞞だという気がしてくる。

知らなきゃいけないことなんてない。勉強しなきゃいけないことなんてない。達成しなきゃいけないことなんてない。プレッシャーをかける必要はない。

ただ、みじめな思いを打ち消したいだけなのだ。周りに比べて劣りたくない、できれば優っていたい、それだけのことなのだ。

今や、自己愛は利己愛の十分条件に成り下がってしまった。

 

行動しない言い訳を探している。そしてそれらは概ね説得力がある、少なくとも僕にとって。

けれど、他人を冷めた目で見るのはよくないと思っている。むしろ積極的に尊敬している。

 

仕事というものをしたくないと、ずっとそういうことを考えている。労働は嫌だけど、仕事ならいいという人もいる。好きなことなら苦にならないとも。

でも、やっぱり仕事はしたくない。仕事とは根本的に他人(組織)のために事を為すことだと考える。売れる商品を開発したり、便利なシステムを構築したり。僕は、他人を第一に行動したいとは思わない。

もちろん暮らしていくための金銭は手に入るし、達成欲求、承認欲求が満たされる意味で、自分のためにはなっている。でも、それは生き長らえているにすぎないとも言える。僕は生きるために生きたい。

 

100%そうだということは断じてないだろうが、芸術や学問が一番近いのか? 自分のためである仕事とは。自分の内面を表現したり、自分の知りたいことを追究するのは自分のためでしかない。

けど、仕事にするためには、他人に認められないと成立しないから、やっぱりこれらも才能と情熱に依存してしまう。ので僕には厳しい。

 

そうすると、誤魔化して生きていくしかないのかなという結論に至る。実現可能そうな選択肢から一番マシなものを選び取って、半ば自分を奴隷化して、とりあえず生き長らえて、たまの気晴らしをありもしない生きがいにして。

 

現状は仕事もしていないし、衣食住に満ち足りた、好きなことに浴する生活を送っている。まあ、大学生って大体そんな目的でなるものだ。でも、物足りなさがハンパない。結局、自分がしょうもない人間だから。自分ってしょうもないなあと、一日に何回思うことか。他人と比較してもそうだし、理想の人間像と比べてもそう。後者の方が罪深い。嫌いな人と一緒に過ごしている時のことを考えてみればいい。

 

と、こんなことを思ってしまう瞬間が多いのですが、芸術に触れると心が洗われるし、新しい知識を得るとわくわくするし、○○したいという直感、衝動は大切にするべきなんだよね。

 

いつか立派な社会人になってたら、笑えるね。

みんなを笑わせられるように、頑張るよ。

 

P.S 大学3年生の諸君、家に届くインターン説明会の案内が煩わしい季節だね。