活動的な人に憧れる

活動的な人は素晴らしい。忙しいアピールも、アピールできるものがあるだけ僕より数倍マシだと思うし、本人が充実を感じられているならそれだけで素晴らしい。もっとも、それすらする間もない人もいっぱいいるはずだ。

 

僕がいう「活動的」って何だろう。アクティブってこと?(英語にしただけ) 「活動」をよくしている人のこと? その活動って何? 多分、「やりたいことをやる」あるいは「やりたいことに繋げるため行動する」ことが活動なんだと思う。生活のために必死に働いている人に対して、活動的って言葉はあんまり適さない気がする。仕方なく早起きして働いて、って仕方なく行動してるだけだから。一日中家にこもって本を読んでいる人のことも、活動的とは言わない。けど、僕は活動的な人だと思う。きっと本が好きで好きでたまらなくてそうしてるんだろうから。やりたいことやりまくってるじゃん。色々首を突っ込んでる人ももれなく活動的だし、「イキイキしてる人」って言ったら"活"のニュアンスが出るだろうか。

 

その点でいくと、僕は活動的になれていない。だからこそこんな愚痴を書いているわけだ。義務に追われてやりたいことをやる時間がないわけではない、決して。やりたいことが皆無なわけでもない、むしろその逆。学問して小説読んで音楽聴いて映画観て短歌詠んで記事書いて……と家で出来ることですら山ほどある。だが、どうにも消化不良。脳がパンクしている。絶対にやらねばならぬこともないから、自分で優先順位を付けられない。常に迷いが生じる。この負荷がでかい。結果、Twitterに逃げてしまう。

 

先程バッテリーの使用状況を確認すると、過去1週間でTwitterの時間は19時間、スマホの総使用時間はざっと42時間だった。1日6時間スマホって素直に病気だと思う。起きてる時間の1/3を優に超えている。そのうち幾らかは前述の用途に使ってるにしろ、Twitterは揺るがない。病気だと思う。何度でもいう。病気に他ならない。もしかすると不治の病かもしれない。スマホの使用時間が長いのが一概に悪いというわけでなく、無為な時間が長いのが悪なのだ。Twitterでも積極的に自己アピールに徹しているなら、やりたいことに繋げるための行動だから余裕で活動。僕はほとんど目的もなくTLを眺めてるだけだ。潰す必要もない暇を潰すために。

 

自分語りが過ぎた反省なんか個人ブログでしなくていいけど、自分でも書いていて馬鹿すぎるなあと思った。僕の周りに活動的な人はたくさんいるし、見習いたいところだが、一体どういうサイクルを回しているのか、まったくもってわからない。本当に同じ時を生きているのか? 密度があまりにも違いすぎやしないか。彼らが21,2年生きてるとすると、僕はまだ高校生になりたてぐらいな気がする。成長が遅い、と思う。活動してないから。

 

目の前のことに夢中になれた時代に戻りたい。一日をどのように過ごすかなんて考えたことなかったはずだ。ドラえもんが読みたいからドラえもんを読んだし、日記を書きたいから日記を書いたし、友達に誘われたから遊びに出かけた。塾の宿題は放置しても気にしてなかった。どうせ気にしてもやらないのだから、直前まで無視したほうがいいと真理に到達していた。

 

活動的になれないことは僕の積年の課題だけども、やりたいことがたくさんあるんだから言い訳してる場合じゃない。人生は有限だ。遅すぎることは何もないと信じたいが、早すぎることが何一つないのは確定的だ。いつ死ぬかわからない。だから今を懸命に生きろみたいな考えはあんまり好まないけど、それでも時間は惜しい。生き急ぎたいわけじゃない。けど何をやるか迷っているうちに何もできなければ何の意味もない。現状に甘んじたくはない。燻ったままで終わっていいのか。それも苦しいことをやるわけじゃない。やりたいことをやる時間を増やせという話。ものすごく自然に即した生き方だ。だから活動しよう。さすらば道は開かれん。