東大入っても品性は養われなかったイキリオタクの懺悔

日々のツイートの希釈 頑張って生きまっしょい

僕がブログを書く理由

なぜブログを始めてしまったのか。

最初の記事で少し触れたが、改めて整理しようと思う。

実は、元々ブログをやっていた過去がある。高1,2の時、それぞれ始めて1週間もせずに放置してしまったのだが。

その時は知人に公開することはしなかった。単純に恥ずかしかったからだ。自己顕示欲が羞恥心を上回ることはなかった。ただ見る人がいなければ書く意欲が湧かないのも当然だった。

読む側としては、中学生の頃部活の先輩がやっていたブログを読んでいた。受験期は「東大受験ブログ」というサイトで人気のブログを読むのが日課だった。ちなみに、圧倒的な学力で一躍人気ブロガーとなっていた阿々木慎二とは、大学で同じゼミに入った。学力に関しては一目置いていたし、懇親会で知り会った時の感動もひとしおだった。

ブログではないが、Facebookにくだらないポエム(僕たちはガイジポエムと呼んでいる)を投稿しまくっていた時期があった。当時の友達はほとんど高校同期だったから、恥ずかしさもそこまでなかったし、試験勉強期間の深夜テンションでは自制心が働かなかった。今となっては大学からの知り合いが増えたし何より年も重ねてしまったので、とてもじゃないが気軽に投稿出来なくなってしまった。

先日、懐かしいなと当時の投稿を読んでみた。"悩める思春期の若さ"が存分に表れていて、むず痒い気持ちがした。そして、子どもだと思っていた高校生の自分が意外と大人だったことに気づき、同時に今の自分は大分成長したつもりだったけど、まだまだ子どものままだなと実感した。ただ、変わっていない部分というのは、自分の大切な要素だと思うこともできる。

このように日々の出来事や心境を形として残しておけば、後で振り返ることができる。これが楽しいし有意義だから、ブログを始めたくなった。

もう一つ。文章を書きたいのは、日々の生活の痕跡を残すためだと思う。もちろん生きた証は自分に刻み込まれていくのだが、言葉にすることで客観的な確証が得られる気がする。今日も充実した一日だったと、せっかくだから思いたい。だから僕はTwitterを止められないのだ。

最後に、なぜ知人への公開に踏み切ったのか。Twitterでシェアしたため、フォロワーは僕のブログに気づいてると思う。恥ずかしいのではなかったのか。それをも承認欲求が上回ってしまったのか。どうだろう。

読み手がいなければ、自分の脳内を垂れ流しただけで終わってしまうと思ったから。日記だって記録に残るし、後から振り返ることはできる。一日を生きた確証も得られる。だけど、そこで完結してしまう気がした。読者がいることで、ある程度整った内容にする必要が生じるし、つまりより思考が洗練される。意見を求めることもできる。反響が自分の視座を高めてくれることもあるだろう。

忘れていたが、純粋に書くのが楽しい。インプットだけでは膨れ上がってしまうし、アウトプットも大事だよね。

そんなこんなで始めたブログなわけで、ある程度は読者がいることを念頭に置きつつも、目的は自分語りである。温かい目で見守ってやってほしい。それでは。