東大入っても品性は養われなかったイキリオタクの懺悔

日々のツイートの希釈 頑張って生きまっしょい

WANIMA

 

サンダーバードに乗りながら、WANIMAを聴いてる。

 

6時前に起きたので眠いはずだが、Googleマップと車窓の景色を突き合わせながらこれをちびちび書かんとしてるので寝ることができない。

 

ましてやWANIMAのうるさい声を聴いている。

 

WANIMAといえば紅白にも出場し、国民的人気バンドと呼べるまでになった。

 

ここで、日本人の半分を捨象してしまっている。陽キャの代名詞的存在、というより陰キャのアンチテーゼと言ったほうが的確かもしれない。とにかく、陰キャにはあまり馴染まなさそうな音楽を今、聴いている。

 

俺が陰キャの殻を被った陽キャというのではないし、陰キャだけど陽キャにも理解ある風を演じて陰キャ内でマウント取ろうとしてるのでもない(しそんなことをしても陶片追放されるだけ)。

 

単に音楽の趣味が普通にミーハーなだけ(さすがに最近のマイヘアとかフォーリミとかはよく知らない)だし、WANIMAがすごいということだろう。がらんとした車内でテンションが上がっているのもある。

 

大学1年の夏、よく聴いていた。その年のロッキンに(一人で)行ったら、一番でかいステージに彼らが登場して、遠巻きに眺めてると近くの地味目の女性が飛び跳ねていた。陰キャと断定するのはあれだが、彼らの音楽は万人向けなのだ。

 

けど、あの見た目はどうにかならんのか。

 

 

ところで普段から陽キャ陰キャという語彙を多用していると、ある人にそれってどういう意味? 陰キャっておとなしいだけじゃないの? と言われた。人には人の言葉に対する感覚がある。だからなんとも言えないが、外向的内向的みたいなイメージで使ってる。このトピックについてはおいおい書きたい気がする。大半の人がどっちとも言えない説もあるしな。

 

陰って字のせいで陰のイメージが無駄に強くなるというならインキャと表記すればいいだけだろう。

 

炭酸のはじける音を聴いた日

炭酸水を紙コップに注いだ。

炭酸水のはじける音を聴いた。

しゅわしゅわ〜と爽快な音だった。

飲んだ時より爽快な気がした。

飲むと刺激が強いから、ちょっとした痛みが走る。

それが好きだから飲むんだけど、聴く分には痛みを伴わず愉快になれる。

糸電話のように耳を紙コップに近づけてみる。

泡が破裂して耳に冷たさを感じる。

しばらくして炭酸水が汚染されてしまう気がして、やめた。

今度は上から覗いてみる。

泡が下から湧いてきては割れていく。

それが煩悩であってほしいと人は思うかもしれない。

しばらくしたら全て消えるから。

古来から人ははかない喩えに用いてきたけど、炭酸水の泡は特別にしよう。

はじけてしまうのが爽快だから。

 

今まで炭酸水に耳を傾けたことはなかったのに、今日はそんな気分だった。

取り立てて静かでもない部屋で、あの音がふときこえてきた。

一度意識してみると、意外と大きな音を立てていた。

そういう日だったんだろうか。

ところで古来という語句を使ってみて、炭酸水の起源が気になったので調べた。

ちっとも想像つかなかったけど、1769年に発明されたらしい。

意外とそんなもんか。

てっきり平安時代の書物とかに記述があったりしないかなと思ったけど。

よく考えたらおかしいか。

僕の期待は泡と消えてしまった。

 

けど、よく調べてみると、世界で初めて炭酸含有の飲料を作ったのはクレオパトラだという。

ロマンを感じた。

彼女もこの音を聴いていたんだな。

 

 

活動的な人に憧れる

活動的な人は素晴らしい。忙しいアピールも、アピールできるものがあるだけ僕より数倍マシだと思うし、本人が充実を感じられているならそれだけで素晴らしい。もっとも、それすらする間もない人もいっぱいいるはずだ。

 

僕がいう「活動的」って何だろう。アクティブってこと?(英語にしただけ) 「活動」をよくしている人のこと? その活動って何? 多分、「やりたいことをやる」あるいは「やりたいことに繋げるため行動する」ことが活動なんだと思う。生活のために必死に働いている人に対して、活動的って言葉はあんまり適さない気がする。仕方なく早起きして働いて、って仕方なく行動してるだけだから。一日中家にこもって本を読んでいる人のことも、活動的とは言わない。けど、僕は活動的な人だと思う。きっと本が好きで好きでたまらなくてそうしてるんだろうから。やりたいことやりまくってるじゃん。色々首を突っ込んでる人ももれなく活動的だし、「イキイキしてる人」って言ったら"活"のニュアンスが出るだろうか。

 

その点でいくと、僕は活動的になれていない。だからこそこんな愚痴を書いているわけだ。義務に追われてやりたいことをやる時間がないわけではない、決して。やりたいことが皆無なわけでもない、むしろその逆。学問して小説読んで音楽聴いて映画観て短歌詠んで記事書いて……と家で出来ることですら山ほどある。だが、どうにも消化不良。脳がパンクしている。絶対にやらねばならぬこともないから、自分で優先順位を付けられない。常に迷いが生じる。この負荷がでかい。結果、Twitterに逃げてしまう。

 

先程バッテリーの使用状況を確認すると、過去1週間でTwitterの時間は19時間、スマホの総使用時間はざっと42時間だった。1日6時間スマホって素直に病気だと思う。起きてる時間の1/3を優に超えている。そのうち幾らかは前述の用途に使ってるにしろ、Twitterは揺るがない。病気だと思う。何度でもいう。病気に他ならない。もしかすると不治の病かもしれない。スマホの使用時間が長いのが一概に悪いというわけでなく、無為な時間が長いのが悪なのだ。Twitterでも積極的に自己アピールに徹しているなら、やりたいことに繋げるための行動だから余裕で活動。僕はほとんど目的もなくTLを眺めてるだけだ。潰す必要もない暇を潰すために。

 

自分語りが過ぎた反省なんか個人ブログでしなくていいけど、自分でも書いていて馬鹿すぎるなあと思った。僕の周りに活動的な人はたくさんいるし、見習いたいところだが、一体どういうサイクルを回しているのか、まったくもってわからない。本当に同じ時を生きているのか? 密度があまりにも違いすぎやしないか。彼らが21,2年生きてるとすると、僕はまだ高校生になりたてぐらいな気がする。成長が遅い、と思う。活動してないから。

 

目の前のことに夢中になれた時代に戻りたい。一日をどのように過ごすかなんて考えたことなかったはずだ。ドラえもんが読みたいからドラえもんを読んだし、日記を書きたいから日記を書いたし、友達に誘われたから遊びに出かけた。塾の宿題は放置しても気にしてなかった。どうせ気にしてもやらないのだから、直前まで無視したほうがいいと真理に到達していた。

 

活動的になれないことは僕の積年の課題だけども、やりたいことがたくさんあるんだから言い訳してる場合じゃない。人生は有限だ。遅すぎることは何もないと信じたいが、早すぎることが何一つないのは確定的だ。いつ死ぬかわからない。だから今を懸命に生きろみたいな考えはあんまり好まないけど、それでも時間は惜しい。生き急ぎたいわけじゃない。けど何をやるか迷っているうちに何もできなければ何の意味もない。現状に甘んじたくはない。燻ったままで終わっていいのか。それも苦しいことをやるわけじゃない。やりたいことをやる時間を増やせという話。ものすごく自然に即した生き方だ。だから活動しよう。さすらば道は開かれん。

 

自分の嫌いなところを書き出してみる

人は基本的には自己愛が強いとされている。そりゃそう、当たり前。僕も例に漏れないはず。‪でも嫌いなところがあるのも自然。他人と比べて劣っていたり、自分の中の正義に悖る行動を取ってしまったり、そういった要素のことだ。

とりあえず書き出してみようと思う。ふと思いついた試み。

 

・本を読むのが異常に遅い

・文字を追っている時間が長いというのでも、難解な本を咀嚼するのが大変というわけでもない。そこまで視野が狭くはないし、難解な本など読んですらいない。

・数ページ読んではスマホ、というリズムが身体に染み付いてるだけのこと。数十頁でも十数頁でもなく、数頁。これはどうかと思う。こんなペースだと早くて2分/1頁かかるから、300頁の本だと10時間もかかる。さすがにそれは人生無駄にし過ぎ。

・でも読みたい本は割とある。しかしこれは読みたいって思うだけであることが多い。この本に書いてある知識を吸収したいけど、そのための時間と労力は惜しんでしまう。森羅万象に比したらこの本に書かれてることなんてちっぽけすぎるし。

・(結論)本を色々読みたいくせに読むのが異常に遅いところ、おまけにそこまでの好奇心はないところ。結局お前は格好よく見せたいだけなんだよ。

 

・LINEの返信速度にムラがある

・メンタルが弱いのですーぐ気がふさいでしまう。そうなるととてもLINEを開けない。実名の人間を相手にできなくて。通知は切っているが増えていく未読の数字に怯える。誰が数字なんて発明したんだ。

・でも相手は急を要してるかもしれない。そう思うと心が痛む。僕の中の正義のヒーローはひっそりスーツを脱ぐ。

・なんなら1年ぐらい返信してないのもある。めっちゃ会話の終わらせ方が下手な人だと認識されてそう。

・LINEは開かなくてもTwitterは開ける。あそこにいるのは人間じゃないから。

・(結論)メンタルが弱い、それを言い訳にする自己中心主義。

 

・自分のポテンシャルを盲信している

・現状そこそこの人間であると思ってる、まずこの前提が間違ってるかもしれないのに、努力するようになればかなりの人間になれんじゃないかなんて思ってる。

・口に出すのは恥ずかしいからなるべく謙虚にいこうとしてるけど、ついナルシストぶりが出てきてしまう。小6の時好きだった女の子に「めっちゃナルシストだよね」と言われた。関西の学校なのに標準語だった気がしてる。関西弁よりそっちの方がガチトーン感が伝わってくるから、記憶が改変されたのかもしれない。どーでもいいね。

・努力しないとわからないことがある、と思う。努力したことがないからやればできるYDKなんて思っちゃってる。世の皆さんに申し訳ない。

・最近は自分がいかに普通の人であるかがわかってきた。だからこそ努力しないと詰んでしまう。まあ、努力とかそういう言葉はあんまり使わないようにしたい。僕にとっては言い訳に都合いいだけの言葉だから。

・(結論)自分に思ってたほどのポテンシャルがないことが明らかになるのを恐れて努力しないところ。愚の骨頂だから、自分が納得できる程度には気持ちを変えたい。

 

まだまだたくさんあるけど、眠くなってきたからやめる。見つけ次第更新するか。これ以上見つけたくないし何より上三つに全て含まれる気がする。本質的な部分は。

なぜブログを書かなくなったか

そもそもこのブログの記事は大体が暗い内容であり、なぜかというと「ナラティブセラピー」のためのものだから。いやこんな自分でもよくわかってない言葉を持ち出すまでもなく、単に辛い気持ちを吐き出して楽になろうとするために書いていただけになっていたということ。

ここまで言えば、もうタイトルの回答はわかるだろう。辛い気持ちになることがめっきり減ったから。春休み中だったこともあり、旅行したり友達と遊んだり‪各種イベントに行ったりしていたら、楽しく過ごせていた。個人的に楽しい気持ちはわざわざ発信するより自分だけで独占しておきたいから、記録に留めておきたいのは山々だが書くまでは至らない。

というわけで、ブログの更新頻度は下がった。これからもそうであればいいと思う。が、方向性を変えてみるのも面白いと思う。とにかく出来事をありのままに書いてみるとか、検討中だ。もちろん時間の許す限り。新生活にブログを書く余地はあまりない。今久し振りにブログを開いたのは、「今月のPVが100に到達しました」という無機質な通知が来たからに過ぎない。

ブログを始めた去年の十月という時期は、キャンパスが変わった新しい大学生活に馴染めず、半ば鬱になっていた頃だった。だから気晴らしにブログを更新した。でも今はその必要はない。約四ヶ月間、本当に諸事への意欲が失われ、貴重な時間を無駄にしてしまった。心の健康は大切だ。取り返せるようにしばらくは生きていきたい。

Twitterがなければ

Twitterがなければ 

 

毎日5時間はTwitter

朝起きたらとりあえずTwitter

予定という強制力が働くまではずっとTwitter

寝る前もTwitter

その日に満足するまでTwitter

結局満たされることはないのがTwitter

 

電車に乗ってはTwitter

歩きながらでも風呂に入ってもTwitter

身体に余裕がある限りTwitter

余裕がない時にはむしろTwitter

 

精神に余裕があってもなくてもTwitterはできる

面白いことがあればTwitter

何かにムカついたらTwitter

誰かに話を聞いてもらいたくなってTwitter

タスクが溜まればTwitter

現実の時を進めたくなくてTwitter

 

Twitter、疎ましいもの。

 

ツイートをする

他人のツイートを読む

様々な記事や掲示板のリンクを飛ぶ

ただそれだけ

それだけでなんの意味もない

 

得た情報量は膨大だけれど

知ることができたのは

他人の才能、即ち自分の平凡さ

それと社会の程度の低さ、向き合おうとすれば精神を病む

絶対適合できねえわ

 

Twitterがなければ

僕には何ができただろう

僕は何をしていただろう

Twitterが生まれる前の人々は何をしていたのだろう

今やわからなくなってしまった、純粋な疑問

 

もっと本も読めるし

街を歩いたり何かを生み出したり

したい

愉快な人と会って愉快な話が

したい

 

毎日一日の短さを嘆く僕の悩みは

どこかへ行ってくれるのだろうか

 

それでもTwitterをやめない

やめられないとまらない

7年も続く習慣とは、もう縁を切れない

しかも生きるのに必須のツールという感

誰も彼もがやっている

セルフプロデュースの時代、生き抜くために

 

まあしかし、やめない理由は結局ただ一つ

人との繋がり

今の交友関係のほとんどがTwitter

それを絶ってしまえば僕には何も残らない

TLという巨大なカタリバがなければ

僕は口がきけなくなる

魂が消え失せる

 

でも納得いかない

こんなにも時間を奪われなくてはならんものかと

もっといい方法はないの?

 

心の声に瞬時にリアクションをしてくれ!!

 

これはもう、半分依存症なのではないか

だったらアルコールとかと同じで、自助グループを作ればいいんじゃないか

 

Twitterから抜け出したい人でグループを作ります

実際に会ってお話ししたり、時間がなければ通話でもLINEでもいい

他人の存在を認め合いましょう

協働して達成、承認の欲求を満たし合いましょう

これで解決

平和が訪れる

 

でしょうか?

 

 

ためしてガッテン

 

 

だけどめんどいから今日もTwitterしてまーす(CV:國母和宏)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

文章を書くということ

さっきまで眠かったはずなのに、いざ目を閉じると全然眠れないってことは間々ある。別に大事な試合とか、デートが控えてる場合に限らずさ。現に今がそうで、だいたいいつも僕は寝る直前、適当に色んなソーシャルメディア行ったり来たりして、文字を読むのも厳しくなってきたらいよいよ音楽聴くぐらいしかできんくなって、何か言いたくなっても入力する気力体力が残ってないから悶々としてしまう。これ、結構つらいよ。書きたいのに。

 

文章書くって意外と体力使う作業なんだよ。適当にLINEしたり通話したりツイートするのとは違う。前の2つは僕はしたことないから想像だけど(笑) ともかく、ある程度まとまったことを書くのは一仕事って感じで、本来寝る前に気軽にできるようなことじゃないと思うんだ。だから日中やるべきなんだけど、誰からも強制されないし、まして何の金にもならない作業をわざわざするような気分にはならない。まあ趣味って全部そうじゃんって話なんだけど。それでもするのが趣味なんだけど。なら僕にとって文章書くって趣味の域には全然達してないなあ。でも、なんか書きたくなる時ってあるんだよなあ。そういう時のために開設したのがこのブログなんですけども、、

 

さて、文章書くことってなんなんでしょう。いや別に文章に限らなくてもいいな。てか、文章って言葉をすごく曖昧に使ってるからすっごく分かりづらいかもしれないな。だから日記でも短歌でも詩でも歌詞でも小説でも評論でも記事でも作文でもなんでもいいから、言葉を文字に起こすということ。特別な技能はいらない。文芸とか言い出すと難しくなっちゃうから、考えないでおこう。本来、誰でもできる作業。歌を歌うこともそう。しかもお金がかからない。道具はいりません。場所も選びません。だから最高。面倒くさがりな自分には最適。だから、書きたい!と思う時が来るんです。自分、めちゃくちゃ不器用だから、これぐらいしかできることがないんだよね。だから、できることならそういう関連で暮らしていけたらなぁ、、と思う。てか、そうするしかないのかなぁ?他のことそんなやりたくないし。強いて言えば喋ることぐらい。終末人間ですね。

 

タイトル詐欺っぽくてごめん。何も論じてないし、語ってないよね(笑) 今日はこういう気分でした!