ポエジーたちのいるところ

 

昨日、大学院の修了式があった。はじめて安田講堂に入ったのだが、朝早くから駆り出されたことでの寝不足、雨天、ひとごみのスリーコンボで著しくテンションが低かった。

全体での修了式が終わった後、自分の所属する研究科、コースごとでの催しがあった。先生方からはなむけの言葉が贈られてから、修了生(この時点で「修士」)一人ひとりが大学院生活を振り返るスピーチを述べた。

式の演出には都合がよかったかもしれないが、僕はこのようにテンションが低かったので、いつものようなサービス精神は発揮されず、ただ一言、「忸怩たる思い」だ、からスピーチを始めることだけ決めて、壇上に上がった。

以下、無理やり喋った内容を思い出せる限りで書き残しておきたい。何年後かの自分は最悪のテンションだった式のことを忘れはしないだろうが、語られた内容は忘れられてしまうだろうから。

 


まずは先生方、二年間ありがとうございました。学部から含めれば五年間、後期課程に進んでから、ありがとうございました。

二年間を一言で言えば、「忸怩たる思い」ということに尽きます。まあ、「忸怩たる思い」っていう言葉を使いたいだけで言っているんですけど。

今この瞬間、いや、瞬間というよりはもっと続く、ある「時期」を楽しく過ごすためにはどうすればいいのか、ということだけをずっと考えてきて、それは思想的に乗り越えられるのかと問うてきましたが、いま、悲観的な「予感」では、不可能なんじゃないかと、ネガティブには思っています。実践することでしか、つまりそのように生きていくことでしか、(やや口ごもりながら)「生活をする」ことでしかできないんじゃないか。

この二年間、もがいていた、というと大げさですが、行くあてもわからず、ただ広がった平原に放り出されているような、そんな状況でなんとか進もうとしていました。

「学問」というものをアイロニカルに眺めれば、「問い」を生産し続けることでしか存立することができない制度、と言うことができると思います。僕は修士論文で自分の研究に「区切り」をつけようと思っていて、実際区切りをつけたんですけど、結局はまた4月から考えるべき問いを探しながら、なんとも言えない気持ちで過ごしていました。

「答えを生きる」。そう、今月のあたま、「ナマケモノ」っていうゲストハウスに泊まっていたんですけど、福井県大野市にある、そこに置いてあった本に「答えを生きる」って言葉が書かれていて、(ここから自分の波に乗ってきて、思わず手振りを交えながら)スローライフ系の本に書かれていたんですけど、これは本当にそうだなと思って。

今までは何となく問いを生き続けようとしていて、でも結局は答えを生きなきゃいけない。僕にとって研究とは、あるいは読む、書く、考えるというのは、こういう言葉に出会うこと、invent(その前にある先生が語った、デリダの"invention"(アンヴァンシオン)を踏まえて。先生は「到来する」という風に読み替えていた)することだと思っています。

僕がアガンベンの「潜勢力」という言葉に託しているのもそういうことで、そういう「構え」、スタンバイしている、「待ち構えている」状態、「探す」のではなく「待ち構える」。今後もそういう風に生きていけるように「頑張って」いきたいと思います。

改めて先生方、二年間ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。それと学友のみなさん、これからもよろしくお願いします。

 

だいたいこういったことを話したような気がする。

テンションのせいで、いきなりネガティブなことを言ってしまったので、なんとか挽回しようと思いつくままに喋った気がする。

それでもこの言葉が自分の舌に焼き付いたような感覚があるのは、やはりスピーチらしい場面を用意されたこともあって、いつもゼミなどで話すのよりはテンポを落とした、比較的ゆったりとした速度で話すように心がけたからだと思う。つまり、自分本来のリズムとは違ったしかたで敢えて話したことで、なんとなく言葉が喉奥に引っかかった気がするのである。

 

自分が話した内容について、後から思ったことを少しだけ。

・答えることは問うことであり、問うこともまた答えることであるということ。自ら「問いを立てる」ことが要請されるようになった現代社会で、同時にresponsibilityを「責任」ではなく「応答可能性」として捉える見方が流行しているように、応える/答えることの意味も注目されているように思う。「問いを生きる」のではなく「答えを生きる」のだ、と独断的に言ってしまったが、そう切り分けられるものではない。あえて言えば、自分にとって哲学とは問うことであり、詩とは答えること。逆もまたしかり。

 

・潜勢力(アガンベンにおける含意は、「~することができる」というのは同時に「~しないことができる」であるということ)について、構え、スタンバイ、待ち構えているという順番で確かパラフレーズしたのだけど、図らずも「待ち構える」という言葉がまさに「構え」という言葉を含んでいることに気が付いた。修論検討会などを通して、同期の子が「ケアの構え」という表現にこだわっていることを知っていたことも、この言葉遣いに寄与したかもしれない。
 僕は人生において、「詩的な出来事」に遭遇することを無上の喜びにしている節があるが、そのためにはポエジーへのスタンバイができていなければならない。オン、オフを切り替えてテキパキはたらくのではなく、常にぼんやりと生きていく。ただしこのスタンバイという発想は、危険も伴う。典型的には医療従事者のように、常に非常時に対して気を張っていなければならない状態というのはひどく疲れる。コロナ下でリモートワークの普及によって多くの人が巻き込まれたように、仕事とプライベートの境界があいまいになった状況は、スタンバイに近い。これらをどう弁別できるかが、課題になる。「いつでもスタンバイしなければならない」と、「スタンバイすることもしないこともできる」の違い。
 そのことに気を付けたうえで、「スタンバイ」という言葉を辞書で引いてみると、「いつでも行動できるような態勢で待機すること。また、その状態」、その例文として「緊急事態にそなえて─する」と出てくる。緊急事態、ベンヤミンアガンベン風に言えば「例外状態」。芸術作品の真価というものが、今ある規範を宙吊りにし、その状態を持続させることにあるとすれば、ポエジーへのスタンバイというのは、まさに規範(コード)の破れ目を待ち構えること、その破れ目に気づくことができる状態を生きることだと言えるかもしれない。
 そして、スタンバイという言葉からすぐに連想されるのは、舞台袖である。過去と未来のあいだとしての「いま」を生きるとはどういうことか考えるとき、僕がイメージするのが舞台袖だ(もっといいイメージがあるかもしれないが)。あの極限の緊張状態、これまで準備してきたことを確かめながら、それが終わったあとの輝かしい、清々しい瞬間を想像する永遠にも近く、しかし直ちに打ち切られる時間。「いよいよ」という時。
 まだ大学に入学する前、大学の合格発表が終わった後ぐらいの時期に、「人生の充実度って緊張した時間に比例するよな」と無邪気にもツイートしたことを覚えている。あらゆるジャンルにおいて「緊張と弛緩」の大切さが吹聴されるように、これはおそろしく正しいのだろう。でも、緊張することはとても苦しい。緊張なきスタンバイ、その理想こそが、ポエジーへのスタンバイなのかもしれない。出番は必ず訪れるとはかぎらない。しかし、ポエジーを待っている、待つことができている状態こそが、すでにしてポエジーなのである。僕にとってその典型が、旅である。実るともかぎらない恋である。

 

Stand by me, poésie。
ポエジーはいつもかたわらにいる。

 

 

不穏の書、談笑

 

深夜にコンビニに出かける一連の流れを久しぶりにこなして、なんだか懐かしさを感じた。今の家はれっきとした住宅街といった風情で、精米店や町内会の会館がすぐのところに立ち並んでいる。上京して以来、六年間住んでいた部屋を退去してこの街に移り住んできた。同じ期間だけ続いた独り暮らしにも終止符が打たれ、他人と共存するわずらわしさと気楽さを、噛みしめるという余裕もないほどに生活はなぜか加速していて、徒然に二つ抽象名詞を並べてみたけれど、比重は大体後者にあると言っていい。そう思うのは、今こうして深夜にブログを書く愉悦に浸れているからかもしれないが、とにかく今の家は個人の部屋がきちんと分かたれているわけではないので、同居人に迷惑をかけないためにも生活はある程度規則化されていて、だがしかしだいたい僕は日中より深夜のほうが勉強がはかどる。深夜というのは一日にとって消化試合のようなもので、だからこそ時間に関する損得を顧慮することなく作業に専念できるため、はかどるのである。ある意味では人生というのもそうで、最近は若い人たちのあいだでよく「降りる」という言葉遣いを耳にするが──いかにして地上のゲームを抜け出して勝手に遊びだすことができるか、といっては味気ないかもしれないが、先日、先生から君たちは大学受験で一回勝利したのだから、もうこの先なにも勝たなくていいんだから好きなように遊べ、という話をされたことの意味を考える。いな、もう書かれてしまった時点で考えられてはいる。はずだきっと、メシアは訪れるときにしか訪れない、訪れたときにしか訪れないということだろうきっと。

散歩の注釈

 本を読むことは街を歩くようなものだと、誰かがそのエッセーで書いていて、先日街を歩きながら思い出した。つまり、街を歩くというのは本を読むようなものでもある。

 久我山から神田川沿いに三鷹台の方へ、先週の土曜日のことだった。なんら大したことはないけれど、梅雨で曇天続きの毎日だったので、久しぶりの晴れ間に誘われてとりあえず歩いていたのだ。実際は三鷹台で用事があったのだけど、自分が連絡を怠っていたためにおそらくそれは破棄されて、無駄足になることは想定していた。それでも晴れていたので、僕は井の頭線の準急に乗って久我山で降りた。なんとなく乗り換えを待つ気分ではなかったので、久我山から歩くことにしたのだ。

 初めて降りる駅だった。特別目新しいものはないし、昔の玉川上水の写真を展示している店があるとの情報以外は気にならなかった。その店もいまいち場所がわからず、適当に坂を上って杉並区の区長選があることをようやく知った。折り返して川沿いを歩き始めて、いきなり古風な雰囲気の喫茶店があったので入ろうかと思ったけど、まだまったく疲労していないので足がうずうずしていてやめた。今度また行ってみたいと思う。何もない駅に二度行くことはめったにないことだけれど、人生生きていればいつかそういう日は来る、ということを思う。最近よく思う、自分も老成したものだと思う。

 

 人生百年時代、と言われる。と言われる。

 僕はその言葉を聞くたびに、高校の卒業アルバムで「22世紀まで生きます」と高らかに宣言していた男を思い出す。別にそれが珍しくもすごくもない時代になってしまったんだろうか。僕だって昔から、ドラえもんが生まれる日までは生きていたいとよく考えていたし、ちょうどいいくらいの難易度である気もしていた。

 そこから逆算すればまだまだチャンスがあるだろうし、読めていなかった本もいつか読める日が来るかもしれない。僕は川沿いの整ったランニングコースを歩きながら、最初に紹介した一節を思い出し、まさにその言葉に出会ったのだってふらっと本をめくって適当に文字を追ったり追わなかったりしていた時だった。久我山から三鷹台へというのは、分厚い哲学書で言ったらほんの一節分、あるいは数ページ、数行を読み進めるようなもので、それだって目的意識も義務もなくただ思い出したように読むといった感じのものだろう。

 研究の上で〆切に追われてほとんど義務感から本を読んでいると、純然たる読書の快楽(Piacere!)も損なわれてしまって、気がふさぐこともある。早く正確に情報を収集することが求められて、本当に優秀な人だけは意識せずともそれがこなせてしまうのだけど、自分はあくまで生きる楽しみの一つとして研究をやろうとしているだけなので、することができない。散歩をすればだいたい気が晴れる。からっところっと。歩く速度というのは自ずから決まっているもので、意識的に調整するものではない。

 街をゆっくり歩くことが難しければ、本をゆっくり読むことも難しい。ジョン・キーツの詩に由来するネガティブ・ケイパビリティという言葉が、医療やカウンセリングの分野で広まり始めていて、僕の研究でも「しないことができる」という問題に取り組んでいる。古代からの格言で「ゆっくり急げ」というのもあるが、ゆっくり歩くことはやはり難しい。ゆっくり歩くことは退屈だし、退屈な本ほど文字がどんどん滑っていって、捕まえることができなくなる。

 

 本を読めるようになるということは、ゆっくり読めるようになるということである。こう書くといかにもといった感じがするけれど、一語一語、一音一音にはっと立ち止まって、そこからいろんな思考がめぐりだしても構わない。精読というのとは違う。ゆっくり歩いてしまうということ。隠された街の注釈に目を見開くこと、耳をすましていること。

 読まなければならない本はいつでも大量にあって、でも本当は全然ないのだろう。晴れた日にふらっと街に出て、電車に乗って、駅で降りて、街を歩いて、思い出したように幸福にふけりながら丹念に歩いて、読んで、少しずつ知っていく。いつか歩いたという記憶だけを作る。同時にいずれまた歩くのだという希望だけを抱いて。

 

 退官した教授が自宅の蔵書を整理するというので、ほしい人は自由にもってかえって構わないという約束だったのだが、そこにあった本にはいつか出会う日が来る。そしてそれを読む日がいつか訪れる。

 

昨日・今日・明日

 

 半月前くらいから途端に秋めいてきて、秋の匂いをかいでいると、寂しくてどうしようもなかった時期を思い出して、心地よい寂しさに包まれる。季節が生き続ける限り、僕の記憶も生き続ける。季節はいつまでも生き続けてほしいと思う。COP26の報道を見ているとそんなことを思う。

 僕の部屋の勉強机は窓際に置かれていて、そぞろになるといつでも街を見下ろす格好になる。その勉強机の片端にもたれて、壁とのあいだの狭い空間で体育座りをして、煙草を吸う。煙草は保存状態や吸う場所の如何で味が変わるみたいで、すごく美味しいなと、初心者らしい感想を漏らす。深い退屈。「肯定性の過剰」が張り巡らす現代社会にあって、深い退屈は駆逐されてしまう。僕はいつまでも生き続けたいと思う。

 

 買ったばかりの『疲労社会』という本を、大学の最寄り駅の目と鼻の先にある昭和の名曲喫茶で、興奮しながら読んだ。バロック調の絢爛な音楽が僕の気分にはそぐわない。離れた席の会話が聞こえてきて、思わず微笑んてしまう。僕は穏やかな心境にあるらしい。「学生街の喫茶店」って曲があってさ、ここってまさにその世界観だよね。同じ大学の学生が、ことさら力の抜けたように話している。70年前後の学生へのあこがれ。ここに来るのはそういう人たち。そういう友達。

 新刊を大胆に六冊、総額一万円を超える会計。本を読んで知識を蓄え、また次の本が欲しくなる。事物との最も優れた関わり方は、所有である。ヴァルター・ベンヤミンが自身の蔵書について語ったエッセイで、そのように綴られていた。僕も本を買うのが好きで、本はその土地の記憶と不即不離だ。中学生でモンスター・ハンターを、大して興味もないが時流のためにプレイしていた時、僕はいくらお金がたまろうと武器の改良に費やすことができず、ほとんど先に進めなかった。ベンヤミンは資本主義と丁寧に距離を取っていた。僕は大胆に、まだかなり自分自身に遠慮してはいるのだが、多少は本を買うようになった。文筆家の山本貴光さんが、YouTubeで注目の新刊を紹介している。本でぎっしりの袋を両手に抱えて。大学に入ってすぐ、本屋でアルバイトをしていた時、五万円以上の会計には収入印紙を貼ることを店長に教えられた。実際にその機会はないだろうけど、一応仕事だからと教えてくれたのだが、そういえばありえないことではないな。そんな昔のことを思い出して懐かしくなった。昨日のこと。

 時たま大学に行くと、ばったり知り合いに会うということが、代わったばかりの野手のところに打球が飛ぶのと同程度の信憑性で僕の身には起こる。その最頻が生協の書籍部だと思う。卒論に汲々としている後輩に会う。久しぶりの再会に少しわくわくして、学部の頃と今との生活を比べたり、卒論は論文というより長い長いレポートのつもりで着手したらいいよと、求められていないだろう助言をした、昨日。彼とは同じ釜の飯を食った間柄だ。大学が熱心に用意してくれている体験プログラムで、島根の山間部で十日間を共に過ごした。毎日野菜が大量に支給されるので、それを使って食事を設える。僕は生まれて初めて、甲子園に出場した元球児と出会った。君が僕をすごいと思うのと同じように、僕は君をすごいと思う。嫌味な話し方はしていないけど、そんな会話を温泉で交わした。経験と体験を腑分けしたのもベンヤミンだが、僕は今、大学のゼミで経験について考えている。

 

 身体ひとつ、己ひとつで退屈に投げ出された時、僕にできることは呼吸を確かめることだけだ。呼吸を確かめるために文章を書く。きわめてリズム的なあり方で、文章を書きたいと思う。深い退屈にあえて留まるということは、すぐれて中動態的な態度を取り続けることを意味する。そのような生のあり方は時に過酷で、僕を疲弊させる。僕は疲れ果てたい、疲れ果てることを望んでいる。おそらく言葉が適切ではないが、ジル・ドゥルーズはtiredとexhaustedとを区別している。前者は選択を強いられ続ける事態によって、後者は選択を回避し続ける態度によって。《疲れ果てている事は/誰にも隠せはしないだろう》──僕の長髪は、よしだたくろう微塵も意識していないと言えばウソになる。

 スピノザが著したヘブライ語文法の解説書では、「散歩する」という動詞が中動態の具体例として引かれている。自分が歩行を促しているのか、歩行が自分を促しているのかはまったく不分明になる。もうすぐ引っ越すことになるかもしれない街で、上京から六年間住み続けているこの街で、僕は散歩を学習した。秋の匂いが別の秋の記憶へと僕を誘う。もうすぐ一年が終わる(もうすぐというにはまだ早い)と同時に、前の彼女と別れてもうすぐ一年が経つ。寂しくてどうしようもなかった秋はさらに二年を遡る。どうしようもなく寂しい季節はもう来ないかもしれない。僕はそれすらを、だから寂しいと感じる。

 

 煙草の香りがこの秋とないまぜになる。僕が暮らす街はきょうも明るい。僕はずっと、僕に煙草を教えてくれた女性と同じ銘柄を吸っている。その女性はもう新たな生を授かったはずだから、今は煙草を吸えないし、これからも吸わないかもしれない。 

 

 

生活の制作

……こんなタイトルで始めてしまったら、朝早く起きる健康的な生活を確立したのだと勘違いしたくもなるが、そんなわけはない。これを書いているのは深夜から明け方への端境期。日が短くなっていくので朝も多少遅い。寝落ちしたのは久しぶりだった。僕がこの媒体に文章を書くのは、寝落ちから覚めた直後であることが多い。すべて終わって、すべて焼き尽くされて、すべてが無に還ったような……絶望感と相半ばするその種の晴れやかさ、爽快感……僕を意味のない行為へと向かわせてくれるのだと思う。

 千葉雅也の『勉強の哲学』という本はほんとうにいい本で、彼自身一番のお気に入りだと友人によく語っているらしいのだが、ほんとうにいい本である。これを大学入学したてで読んでいたら、路頭に迷って留年することもなかった……(刊行記念のトークイベントも僕の駒場時代に、コマバで開催されていたのだ)しかし、それは嘘かもしれぬ。大学二年か三年のとき、ブックオフで立ち読みしたときにはそこまで強い感銘は受けなかった気がする。まだあまり人文的な口調に親しんでいない頃だったし、読点がやたら多くて文体も、謎という感じだったから。(ちなみに文庫化した際には読点がかなり削られて読みやすくなった)

 その、文庫版に追加された補章は「意味から形へ──楽しい暮らしのために」と題されていて、制作、広い意味での「作ること」についての実践的アドバイスが書かれていて、勇気をもらえます。勇気。「それはひいては、芸術的制作だけでなく、自分の住む空間や、生活のリズムをどう設計するかということにもつながっていく」(p.238)。

 

 今年はオリンピックの影響で例年と大学のスケジュールが少しだけ違っており、九月の最終週から始まる秋学期は一週遅く、つまり十月ちょっきりのスタートになった。それが地味に、地味すぎるゆえにすごくうれしかった。きりのよさには別に意味はないけれど、それが心地よいのである。毎年そうしてください。

 だから、夏休みの二か月間──春学期の授業は八月ジャストよりも半月早く終わっていたし、特にレポート課題もなかったけれど、やるべきことがあったので勝手にきりよく「二か月間」に設定した──をどう過ごすかが大事だった。コロナでどこにも行けないわけだし。やみくもに抽象的な、超越的な何かに手を伸ばそうとする時期も、大学院に入ってようやく終わりが来ていた。制作するとは、有限性を作り出すということですから。生活においてもそれがいえるわけです。

 生活の制作──というフレーズが浮かんできたのは、根津からバイト先へと歩いている途中だった。不忍通り言問通りとはうってかわって賑わっていて、コロナ禍を忘れさせるようだった。あくまで相対的なものにしろ。しかし、曜日が土であるというので納得できた。大学の地下スペースで論文をやっと書き始めた日で、疲れたし詰まってきたしバイトまで一時間だったので切り上げ、今から電車で行くと時間を持て余す。キャンパスをぶらつこうかとも考えたが暇だし、バイト先まで歩くことにした。距離を調べるとニキロ少々で、逆に今までなぜこの発想がなかったのかと、凝り固まったルーチーンはげにおそろしなのであった。何気に。大学からバイト先まで歩けば交通費がチャラになるというのは、これもまた生活の制作なのであった。

 それで不忍通りを歩いているとき、今日の進捗の反省をしてしまっているとき、別に毎日1000字でもいいしとにかく進めることが大事だし1000字ずつ書いていくことにしよう、と思ったのだった。これが俺の生活の制作や! 人生は冒険やし、生活は制作や! その日の進捗は丁度1000字だった。

 

 夏休みの目標は二つあって、小説の公募にはじめて出すことと、査読のない論文を一本書くことだった。これは八月一日(ほづみ)に、鬱会のメンバーに話して明確に決まったことだった。前者は八月末日、後者は九月末日が締め切りだったので、バランスがよかった。今回やってみて思ったけど、小説を書きながら論文を書く、あるいは論文を書きながら小説を書くのは相当な力量がないと、どちらもに慣れていないと厳しいということだった。僕はどちらもほぼ初めてに違いなかったし、順番にやるしかなかった。結局、とりあえず目標を達成することができて、よかったです。両方とも分量に上限があったので、数値で区切る生活は適当だったと思う。

 

 散文欲求が満たされたので、もう終わりにします。これで韻文欲求が湧いてくればいいのですが、どうでしょうかあ。あるいは二者択一の廃棄処理場、工場見学の思い出。 

 

生成したか せいせいしたか

 長らく文章を書いていないと、文章を書くことへのハードルが、書く文章へのハードルが上がってしまって、なおさら書けなくなる。なかなか返せずにいたラインは底のほうにたまっていて、定期的に(といっても一定の間隔で、ではもちろんない)、返さなきゃいけないし返したいなと思うことがあるのに、もう返すことはできないかもしれない。こういったおことわり〔理〕をはじめに記すことで、すでに文章を書き始めてしまったという既成事実をつくるため、こういった事柄を書いているのだが、これは最終的には消されなければならない。あたまのなかで思っていることと書くこと、考えていることと書くこと、のこまやかにいりみだれたしなやかな関係性が、ふっと現れてきて、風鈴の音がちりん。

 ことばが不自由になった、という感覚は断じてないのだが、不自由なことばが脳内をぐーるぐるしているのが最近の実情で、へんしんの途中だからしかたないのかもしれないけれど、不自由だ、不自由だ、もぐーるぐる、不自由にぐーるぐるしているのでありまして大変遺憾に思うところ。ことばを自由に吐き出していぜ、ラングを吐瀉していぜ、ラング吐瀉、ラングドシャしていぜ、ビーチフラッグスしていぜ、とかぶっちゃけたいところ。くそみたいなたとえであれなんだが、人間は食べたものでできている。というのが真実なら、人間のことばも読んだものでできているだろう。それが偏食であるのが最近の実情で、身体的な不調を抱えている。硬質な素材は消化に時間がかかる……。わたし不調ですわ。回文でもなんでもない。なんでもないや、ふたりならヤレルーヤ。

 胃腸の不調。伊調の不調。シスターフッドよ永遠にラングを排泄したいぜ、はい、せつしたいぜ、はいはいはいはいせつせつせつせつしてーぜ、(これがほんとうのくその話、くそみそのくそ、乳飲み子の地租)

 バイザウェーイ、(アンハサウェーイ、)齋藤陽道さんという有名な写真家の方がいるが、その齋藤さん(めっちゃ高尚な会話しかしちゃいけないアプリみたいな)がこんなことをつぶやいていた。氏曰く、「本を何冊か出してみて思うことは、本を出すために最も必要なものは学力の良し悪しじゃない。「自分の身体」と「自分の心」が等しく釣り合った状態において、ゆるぎなく吐き出せることばがあるかどうかにかかっている」。おそらくいまのわたしわ、ゆるぎなく吐き出せることばがなくて、なぜなら自分の身体と心がアンバランス山本だから、長谷川パーソンだから。ルサンチマン浅川だから。身体というか、もちろん胃腸の不調は抱えているのだけど、記号的身体とでもいうべきものか、要するにステイタスっすStudentという楔。「いんせい」という漆黒の堕天使。人間という神の言をbetrayしただってんし。キマってはない。ぜんぜんきわまってはないけど、ウラギマってる。要するに、非常に通俗的な言い方をすれば、身体に心が追いついていない、し、一生追いつきたいとも思わない。だって、ことばとか、失いたくないし。煮凝りたくないし。だって、青春はいちどだし、ラングドシャ、しなきゃだしっ!

 ある日書店でいただいたお手製の栞に、齋藤さんのことばがのっかっていて、彼の存在を知ったのだった。そのことばの反響はすごくて、わたしのうちに反響している。チントンシャンテントンなみに反響している。ちりん、ちりん。

 

 「声」は伝わらない。それがぼくの実感だ。

 「声」は沁みてすでにある。それもまた僕の実感だ。

 

そういうことばとの出会いを大切にしたい。であいのあわい、淡いの出逢い、わいの先祖はわいないな。

 

 そういうことばとの出会いを大切(おおぎり)にしたい。

 

 

参考文献

齋藤陽道『声めぐり』、晶文社、二〇十八年。

 

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右手の優越

 

 2月25日・26日は、東大生にとって忘れたくても忘れられない、否、忘れようとも思わない日付だ。あらゆる国立大学と同じく、前期二次試験が実施される日である。

 僕が東大を受験したのは五年前になる。25日から26日へと、夜中から朝方へと向かうこの時間帯は、体調を万全にするため、とうに床に就いていたはずだ。少なくとも、ブログを書き始めるような真似はしていなかった。寝ようとしていて、同じ予備校でしのぎを削っていた友達からラインが届いた。「数学何完した?」

 東大の試験は一日目に国語と数学があり、僕が受験した文科の数学は全四つの大問から成る。これは数十年変わらない形式で、最後まで論理の漏れ、計算のミスなどなく解答までたどり着けた大問の数を「○完」と表現するのだ(同様に半分くらいまでは"いけた"問題数を「○半」と表現し、それらを合わせて「○完○半」と呼ぶ)。

 一応、試験の鉄則として当日の答え合わせはするべきでない、というのがあるが、翌日の現実的な得点目標を設定するためにも、自分は大体の目算をするようにしていた。入試本番、数学の試験が終わり、ツイッターでできた浪人界隈の仲間とDMを交わした。議論の余地なく易化した確信がお互いあったのだろう、特に臆することもなく解答を送りあい、全問一致していることを確認した。

 友達からのラインには「2完2半」と返し、(80点中)50~60点くらいかな、と付け加えた。いくつか余計な記述や書き間違えをしたことに思い当っていたので嘘ではなかったが、かなりネガティブに見積もっていた。友達からは自身の状況、それに予備校仲間らの情報まで送られてきた。やっぱり簡単だったんだなと思い、気を引き締めて眠った。

 以上の詳述が明かしてくれるように、やはり受験の思い出というものは一生残るように思う。東大生は東大に合格したという事実だけを唯一、共有している(そしてそれが人生唯一の「偉業」である僕のような人間もたくさんいる)。今年の僕は、バイト先で五年前と同じように入試問題に対峙していた。解答速報を作るため。バイトは大学入学からずっと続けて、すっかりベテランになった。

 

 バイトから帰宅して郵便受けを覗くと、大学院の入学手続書類が入っていた。直ちに入学金を振り込み、学生証用の写真を撮影し、書類を埋めて郵送しないといけない。大学院の試験(今年はオンラインで実施された。すなわち「オンライン院試」なのだが、これは「ナオト・インティライミ(「ナオト・イン・ティラミス」っていうネタツイで時の人になった人物だ)」みたいで嫌だったので、家から徒歩5分のアパホテルにわざわざ泊まって受験した。)は夏に終わっていたので、感慨などは当然なく、手続きの面倒さ、そして入学金の高額さに憂鬱な思いがした。親にその旨を伝えると、これでよかったのか、と不毛な問いが浮かんだ。

 結局、一度も就活および就活に準ずるプラクティスをせずに院進が決まったが、今ならまだ白紙撤回することができる。これから親に振り込んでもらう30万円を別のことに使うことができる。去年一年、卒論に圧殺されそうになるなか、自分には研究などできやしない、と何度も心内で唱えた。「ブックカフェで買った本をコーヒーを啜りながら優雅にめくる」なんてのは研究者からもっとも遠い生活形式だ、というつぶやきを見たことがある。自分が理想とする生活はまさにそのようなもので、その主張は問答無用で正しいと思った。

 近所のカフェチェーンやファミレスを使い倒して(そのせいでじわじわ貯金は減り、体重は4,5kg増えた)文献を読み、構想を練り、発表資料を作り、執筆をしたが、これを続けていくのは無理だ、とずっと思っていた。義務があるとそれだけで生活のすべてが空回りする。完成した直後はさすがに達成感があったが、しばらくして読み返すと「なんだったのか大賞2020」をあげたくなるようなガラクタに見え、自信を得ることは難しかった。解放感もすぐさま閉塞感に化けた。そんなこんなで、あくまで今後への気持ちを宙吊りにしたまま、だらだらと春休みを過ごしている。もしかしたら二度とこんな閑暇は訪れないんじゃないか、と怯えながら。

 

 研究をやっていく能力も自信も意欲もそれほどないものの、読書以上にやりたい(やったほうがいい)こともない(社会状況も相まって)退屈な人間なので、さっきも文献を読んでいた。実際に読めているかはともかく、読もうとし、また読んでいることにしていた。しかしながら気分が乗らず、ダイエットも兼ねて歩くために外に出た。とはいえお腹が空くのでカップ麺を買い、カラスの声が響きはじめた公園でひとり虚しく、本当に虚しく(といいつつ、あくまで光景が)食事をした。スープは飲み干さず少しだけ残しておいて、かつて環境保護のために「植物にやる」と中学入試の面接でようようと語った僕は、タバコの火を消すためにそれを使った。缶チューハイを灰皿代わりにするのだと、まえに深夜の公園で友達に教えてもらった技術を応用したのだ。

 周囲に人間もおらず、スマホからちょくで音楽を流し風景にかき混ぜながら、後輩のブログを読み、自分の昔の記事を読んだ。喫煙することなど未来永劫ないんだろうなと綴っていた僕は、いまや器用にシガーを操っている。そのシガーで宙に方程式を書く。五年前の数時間後にはこの右手で、いま・ここにいる「権利」を勝ち取ったのだ。

 ふいに(否、こういう風に思うことはたいてい約束されている)、次は恋人と来たいなと思った。それで二人でタバコを吸いたい。それが僕のささやかな理想の生活なのだ、とは感傷抜きに語ることなんてできない。幼い頃から勉強を通じて獲得してきた厄介な自我は、だんだんと萎んでいたのだった。